山羊を見る羊
クナリ

SNSでつながろう。
オンラインゲームで仲間と一緒に。
ほんのつぶやきをリアルタイムで受け止めて、意味のある言葉を返そうよ。
江流のような言葉はとめどなく流れ、これが本当のライン川(寒)。
だってつながっていたいから。
僕らは一人じゃない。
私達は孤独じゃない。
それは間違いなく救いですよね。
ヒット数が、フォロワ数が、購読者数が、ありがたくも目にまで見える救われポイント。
現代のお布施。
あれがたくさんあると、価値があるのだ。偉いのだ。それは嘘ではない。

我ら羊、群れ、集う。
集うことこそが我らの生存要素。
一人では生きていけないが。
真っ暗闇の世界で、
同じ柵の中で、
同じ草を食み、
イエエイエエと鳴く声が響き合っていれば、
われわれはつながっていると言えるのか。
お互いの姿は見えやしない。
その手で触れ合うことも無い。
確かにその人らしい声が響くだけ。
IDとPASSで誰にでもなろう。
成りすまされてもわかりゃアしない。

ため息をついたら「ため息をついたね」といってもらえなければ負け。
聞こえるようにため息をついたのに、応えてもらえなければ負け。
開けるともなく開けた耳に、聞くともなく聞こえてくる声。
それで、つながっているといえるのか。
「いえるよ。
だって、同じ構造の柵の中にいるのだから」
そうか、そうか。

いつでもどこでもつながっていて、いることがあたりまえの、誰かの人格。
その人格が、能動的にネットワークに接続することをやめただけで、
生存の確認さえ不可能になる。
柵の中にわざわざ入るのをやめたその人に、声を届ける方法がない。
柵が不必要になった人には、柵の中の連中さえも不必要となるのか。
僕も私もその他も。

あの人は白い山羊だった。
実に軽やか。柵の中にいることもできる。ぷいと出て行くこともできる。
我ら羊、羊。

寂しいのう、寂しいのう。
求められていたいのう。
肉体だのしがらみだの、挟雑物のある世界では見えない、純粋な自分の価値を、
認めてくれる人に出会いたいのう。
情報だけの世界でなら、純粋になれる気がしたのかい。
情報だけになった自分は、自分でも気付かなかった素晴らしさがあると信じたのかい。
純粋になれば、愛されると思ったか。

残念で悲しくて、嘆いている間に、押し寄せる新しい情報に、
感情は埋め尽くされていく。
悲劇も救いも、つながっていることで打ち寄せて来る情報が、
引き起こしてはかき消した。
情報が無いのなら、それは空虚。
空虚空虚。
肉体は無価値か。
資本の為の餌になるだけの。
情報を買う為の資本になるだけの、からだ。

「出会い系ビジネスが、なくなる訳がねえんだよ」
悔しいけど、屈服。

出会いが一期一会というのは、今のところ、まだ変わらない。
ネットワークの向こう側、いつでもつながれる振りをして、そううそぶく仕組みたち。
誰も、いつまでもそこにいるわけがない。
つながっているのならば……、
今、伝えなければネ。
今。
この今。
いや、明日にしようよ。
明日のようないつかにしようよ。
明日も今日と同じだよ。
明日くらいまではつながっているよ。

そして消えて
空に波音。

純粋になれば、愛されると思ったのか。

海を渡った、山羊への手紙を抱えて、
我は羊……、波にのまるる。



自由詩 山羊を見る羊 Copyright クナリ 2014-03-29 10:55:53
notebook Home