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葉leaf

初めに光だけがあった 大きな壁の下敷きになった僕は 光が光のまま同時に闇を兼ねることを知った 光が闇として熟していく中 時間の刷毛の愛撫のもと 再び闇は光へと跳躍した 僕は今度は大きな壁を乗り越え 僕から無限に下って行った先に とても小さな種を見つけた 光と闇の死骸 光と闇の卵子

祖父の死と 祖母の死と 兄の結婚と 兄嫁の出産 これらの間に通底するいくつかの流れについて 何も悟らないままただ感知すること 僕らの日常は生命から疎外されています だがこれらの流れは生命の痛ましい輝かしさで 僕をくすぐるのです 悲しみと喜びが生命の色彩で潤っています

挫折とは挫け折れることではない それは農夫のスコップの一突きと何も変わらない 希望とは望むことではない それは工夫の機械の操作と何も変わらない 復讐とは仕返しをすることではない それは政治家の弁論と何も変わらない 栄光とは人生の成功ではない それは役人の書類作成と何も変わらない

これだけ何もかも切断された時代で 人々は表層のつながりで疑似的に満足する いや単に孤独でいたいのだ 人々は昔から孤独でいたかった だが孤独でいるには社会に対して弱すぎた 今人々は社会に対して優越しているから 孤独を保つことができるようになった そんな喜ばしい孤独が毎日自殺している


自由詩 twitter Copyright 葉leaf 2014-02-22 04:21:22
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