【 私の履歴書 】
泡沫恋歌

私は十三年間
薄暗い工場の中で
機械の一部になって働いてきました
小さな子どもを連れて離婚した
若くもない女には3Kの仕事しかなかった
子どもを保育園に預けて働いた

毎日々
ベルトコンベアーから流れてくる器具の
配線をしたり
半田したり
エアードライバーでネジを締めたりしていた
頭なんか使わない
身体が勝手に動いて作業をやっていくだけ
ただ、それだけだった

一日八時間
同じ作業を繰り返すだけの日々
息の詰まるような生活だったけれど
生きるための戦いだと我慢した
それでもベルトコンベアーの
隙間に
ホンの少し妄想を嵌めこんで
失われゆく自我を必死で守ろうとしていた

       *

十三年後に会社が倒産した
私は求職者となってハローワークへ
まず失業保険を貰うことにした
パートで働くよりも
失業保険の額の方が多かったからだ
フルタイムでずっと働いてきた
この私が
人生の休日をいただいても悪くないだろう

失業中の私はネットにハマった
朝から晩までパソコンの前に座る日々だった
SNSでゲームをしたり
ユーザーと交流したり
ブログに詩を書くようになったら
詩を読んでくれる人や
創作する仲間が集まってきて
コミュニティを作って創作活動を始めた

ついに失業保険が切れた
最大九ヶ月間きっちり全部貰った
長い休日だったが過ぎてしまえばあっという間だった
今度は拘束時間の短い仕事を選ぶ
再婚して子どもも大きくなっていたので
フルタイムで働かなくていい
創作の時間も取れるようになった
今の仕事は気楽で私に合っている

       *

もし、阪神高速に乗ったら
上を見上げてください
十三年間薄暗い工場で私が組み立てた
製品名 YS34204
「阪神高速」という名の街路灯が今も輝いています
間違いなく それは
私の書く詩なんかよりも
遥かに社会の役に立っている
今も毎日 
みんなの行く手を照らし続けているだろう



                              2014/02/21



自由詩 【 私の履歴書 】 Copyright 泡沫恋歌 2014-02-21 17:19:10
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