電脳と死の雨
hahen
ぼくたちは雨を防ぐために、濡れないために、他のものを濡らすしかない。ぼくたちの代わりに濡れるものがあって、ぼくたちは乾いたままでいられる。
墨を磨ったみたいな色の雨が降る。それは夜の色と同調して、一段と辺りが暗くなる。自分が濡れる代わりに携帯していた傘を濡らしていた。路面がつやを放つ。追い立てられて逃げ込んで来たみたいな申し訳なさそうな雨が降る。居場所がないのでちょっとだけここにいさせてください。すぐにまたどこかへ飛んでいきますので。雨足が弱く、今にも最後のひと滴が落ちてきそうだと思う。でもぼくは雨が上がる瞬間をこの目で見たことがない。
遍く濡れそぼっている路面に一つの異世界がある。ぼくはそれを目撃する。
その小さく狭い異世界はぼく一人が立つので精いっぱいの面積しかなく、浸水した靴の中で喘いでいた踵や土踏まずがそっと安堵する、そこはこんなにも濡れた世界の中で唯一乾いている。少しずつ雨粒に侵略されながら、まだその一か所だけはぼくたちの世界の内側じゃない。
多分、車が停まっていたのだろう。乾いた箇所の形も長方形で、ぼくはそうに違いないと勝手に判断した。
ここに車が停まっていた。しかし今、車はどうしてか(発車して移動したからか)なくなっている。
そこから、ぼくたちは一度死んでいく。死んでいかなくてはいけないんだ。
まず、雨を見つめよう。ひたすらに連打されるアルペジオ、一定の調律と脈拍がある。明日になれば、明日でなくともいつかは、雨が止むだろう。その時濡れていたのはぼくたちか。確かにぼくたちと、ぼくたちの生きる処だろうか。それとも、もしかして全く違う処から、ぼくたちは何度も何度も跳躍して、雨粒の奏でるリズムの狭間をすり抜けたのでは。張り巡らされた見えない経路を走る電波も、雨に濡れるだろうか。そうしてその足取りが鈍くなる。接続された全世界を閉ざしたいとぼくなら思う。今この瞬間、ぼくは歩いて家に帰り着く、どこかで仮想空間に打ち出されて漂っているセンテンスが、電源の入っていないコンピュータには届かない、雨が止まない。情報が氾濫する。文字情報がパラパラと落下してくる、打ち上げられた画像データが軌道に乗って浮いている。水滴の描く斜線がいくつも乱雑に交錯しながら埃の積もった窓枠を叩くと、リズムは一旦失われたんじゃないかと感じる。ぼくはコンピュータの電源を入れなかった。眠れないぼくはぼくのまま乾いていくはずだ、あの時走り去っているべき車を、そして雨の止む瞬間を、この目で見ることが叶わなくても。リズムは失われない。二十億の脈拍で、接続された全世界の相互アクセスの一切を切り刻む。それは一定の調律と拍動で行われるべきだと思う。
たった一つの狭い異世界が、おそらくは、もうぼくたちの世界の内側へと迎合しているだろう。それを確かめて認識する術はない。
友人が弾き慣れたベースラインを繰り返し練習する。ぼくは煙草を吸いながら寝床で丸くなっている。枕元のスマートフォンが鳴動する。火葬された親戚のおじさんからの着信だった。驚いて思わず通話を開始してしまう。
「もしもし」
「そろそろ俺もそっちへ行きたいんだけどね」
「イケるんじゃない?」
「すぐ近くまでは来れているはずさ」
「どのへん?」
「どうしてか我が家じゃなくて君の家の近くでね。音楽やってる友達がいるって言ってたじゃないか」
「うん、それが?」
「熱心に練習してたぞ」
「知ってる」
「そうか……で、場所だけど、これもどうしてか道のど真ん中に一か所だけ濡れていない部分があって。そこに」
「ああ、あそこ。うん。今雨降ってる?」
「ええ? 降ってるわけないだろう」
そこで通話が遮断される。とても唐突に、そして不自然なタイミングで。ぼくは火葬されて納骨までされたおじさんと会話したことよりも、一旦成立したアクセスがぶつっと切れてしまったことのほうに驚いた。通話時間が表示されている。たった百二十秒ほどの時間、ぼくたちは多分死んでいた。カーテンをそっと開く。部屋の明かりを反射させた窓に顔を近づけると霧雨みたいな雨が弱々しく降っている。
すぐ近くまで来ているらしい。ぼくは死んだおじさんを迎えに行かなくてはいけない。
霧状の軽い水滴が、ほんの少しの冷たい風に乗って、開いた傘の下から吹き込んでくる。服が、髪が、手が、ちょっとずつ濡れていく。すぐに車一台分の異世界があった場所に到着する。そしてぼくは初めて雨が上がった瞬間を見た。それは思っていたほど壮大じゃなく、余韻もない。おじさんが立っている。ぼくは静かに眠りに就こうとしている。
傘を一本なくして、ぼくは友人の家へ向かった。多分、そこに置き忘れてきたに違いない。友人は快く迎え入れてくれた。ベースの重低音が玄関の奥から廊下のフローリングを伝わってくる。
リビングに備え付けられた家族用のコンピュータが起動しているのが、最初に目に留まった。
「古い楽譜ならインターネットでいくらでも閲覧できるからね」
友人の親父さんがクラシック音楽の楽譜を印刷している。その横で友人がお気に入りのベースラインを爪弾いている。
そして、ぼくたちは一度死んでから、もう一度死ぬ。
印刷されて吐き出された楽譜は見るからに複雑な和音や抑揚を事細かに指示してくる、それは多分雨音に近いメロディーになるだろう、採光の優れた友人の家から温かなまどろみを受け取りながら、ぼくの身体は冷え切っていく。指先が冷たい。友人の親父さんがキーボードを慣れた手つきで打ち込んでいく、入力の一回、一回ごとに死に終わった人間が焼かれ、新しい人たちが形而上のコネクションを毛細血管みたいにびっしりと張り巡らせていくので、多分循環機能としては悪くないんじゃないかと思う。どうやら親父さんは自らの持っているブログにアップする記事を入力しているようだったから、代わりに自分に打たせてくれないかとぼくはお願いしてみた。親父さんの言う通りの記事文面をぼくが入力する。ぼくが入力した記事が、親父さんの入力された記事としてインターネットユーザーに閲覧される。ほんとうはぼくが書いたものなのに、ぼくの痕跡は読み取ってもらえない。ベースを演奏できるようになりたいとその時思った。そうすればぼくが死んでもぼくはぼくの友人として生きることが可能なのではないかと思ったんだ。でもそれは誰に言われなくてもわかってる、無理なんだって。ぼくは死ぬ。そしてぼくはぼくを失う。それ以降は無い。無のままであるべきだとぼくも思うけど、雨に打たれた後のような冷え切った身体のままでは、何も無いものをその通りに享受することも出来なくなるかもしれない。おじさんは死んでからもぼくに電話をかけることができた。何も無いなんてこと、無いのかもしれない。でもやっぱり何も無いままであるべきじゃないか。ぼくが見つけた異世界はたまたまぼくに見つけられたことで対象としての実存を確保できたけど、ぼくたちみたいにはなれない。そうじゃなくて、ぼくたちじゃない、ぼくたちのような者がいてくれさえすれば、雨に濡れることのなかった世界がどこかにあって、ぼくみたいに凍えることのないひとびとがどこかに存在してくれさえすれば、そうあってほしい、そうあってくれたなら今度こそ、電波と二進数と液晶画面とデジタライズされた素子で支えられた、全世界で共有されるスペースなど、足元から、その地盤から、瓦解してしまうだろうから。ぼくたちが雨に濡れる。ぼくが、雨に濡れる。しかし友人は濡れない。大切なものを自分の代わりに容易に差し出せるシステムが、ぼくたちに備わっていなくてよかったと思う。今日はとてつもなく、そして圧倒的なまでの、快晴だった。大寒を迎えて凍えていた昨日の夜、そしてこの一週間が嘘のようだ。
スマートフォンを取り出し、画面をフリックする。待ち受け画面の日付が何十時間経っても動かない。
「昨日、そういえばさ、雨、降ってたじゃん」
「ん?」
「雨、降っててさ、帰る時止んでて、俺ここに、傘忘れてったよな」
「あん?」
「だから……!」
「昨夜雨なんか降ってねえよ。星がいくつも見えてただろ」
そうしてぼくは雨に打たれて濡れそぼっていく。身体が凍えていく。ぼくの踵や土踏まずはずっと乾かない。でもおじさんは濡れない。濡れなかった。ぼくは多分これから何度か死ぬだろう。だからこそ、おじさんは死んで、死に終わったんだ。