泣き虫フーガ
村田 活彦

その朝、町のひとたちは
台風のような雷のような泣き声で目がさめた。
山にかこまれたちいさな港町、
その外れにある病院の一室で
フーガが産声をあげたのだった。

フーガは泣き虫だった。
どんな赤ん坊より大きな声で泣いた。
その声は小さな部屋の窓をふるわせ、
小さな庭の竜舌蘭をふるわせ、
小さな町の屋根とアンテナと
パルプ工場のけむりをふるわせ、
小さな港に停泊する船のマストをふるわせた。

ガラガラをふっても、
いないないばあをしても、
ゆりかごを揺らしても
フーガは泣いてばかりいた。
「泣くのは元気な証拠」と母親はよろこんだが、
明らかに泣き過ぎだった。
父親は医者に相談したが
「大きくなれば治りますよ」と笑って帰された。
夜も昼もわんわん泣くので両親は寝不足になったが、
あまりに毎日のことなので
そのうちに耳がなれてしまった。


物心つくようになっても、
フーガの泣き虫は治らなかった。
巣から落ちたひな鳥をひろっては泣きじゃくり、
丘のうえから海に沈む夕日を眺めては目をうるませた。
その頃には、町のひとたちも慣れっこになり
「ああ、またフーガが泣いてるねえ」
「今日もいい日だねえ」などと笑いあった

泣いてばかりいる息子のために、
両親は家中のタオルを縫い合わせて
一枚の大きなタオルを作ってやった。
フーガは涙と鼻水で顔じゅうべたべたにしながら
「ありがとう」と言った。
それからというもの、
どこに出かけるにもそのタオルと一緒だった。
大きなタオルを肩にかけて引きずって歩く姿は、
まるで王様のマントのようだった。

ある雨の日、フーガが公園を通りかかると、
恋人と別れた女のひとが濡れながら泣いていた
フーガは傘を差し出すと、
彼女のとなりでもらい泣きをはじめた。
まるで雨だか涙だかわからない有様だった。
タオルのマントもびしょ濡れになった。
女のひとはすっかり驚いて、
一所懸命なぐさめているうちに、
自分が泣いていたことを忘れてしまった。


青年になったフーガは、ますます泣き虫だった。
クラスメイトたちと映画館に行った時は大騒ぎになった。
あふれた涙が客席にあふれかえり、
映写室のドアまで迫った。
映写技師はあわててフィルムを抱えて逃げ出した。
劇場主はわめき散らした。
危うくおぼれかけた仲間たちは、
世紀の脱出劇をおもしろおかしく語り合った。

ある夏の日、
幼い男の子が山で迷子になるという事件が起きた。
町の大人たちが総出で探したが
見つからないまま夜になった。
暗闇でひとり脅えているだろう子どものことを考えると、
フーガは泣けて泣けて仕方がなかった。
泣きながらふもとの一本杉に登り、
枝の上でひと晩中泣き続けた。
その声は、
ほら穴でうずくまっていた男の子の耳にも届いた。
やがて日が昇り、
泣き声を頼りにほら穴を出た子どもは
無事に保護された。
消防士に抱かれてその子が山をおりたとき、
フーガはまだしゃくりあげていた。
泣きはらした目に青空が映ってまるで海のようだ、
と男の子は思った。


フーガが二十歳になるころ、戦争が始まった。
かつてのクラスメイトたちは
船に乗って戦場に行ったが、
フーガは兵役検査に合格しなかった。
働きにも行かず、あいかわらず泣いてばかりいた。
「こんなご時世に泣くなんて」と
町のひとたちは次第に陰口をたたくようになった。

戦争が長引くにつれて、
兵士たちは小さな箱になってふるさとに戻って来た。
新しい名前が刻まれたお墓の前で
フーガは毎日泣き暮らした。

戦況はさらに悪くなり、
小さな港町にも敵の飛行機が飛んでくるようになった。
泣き声が敵の標的にされるのを恐れた町の人たちは、
フーガを役場の地下室に閉じ込めてしまった。

ある日、水平線の向こうに小さな影が見えたかと思うと、
それがあっという間に何十機もの爆撃機になり、
小さな町の上空をおおいつくした。
黒い鉄の鳥から鉛の雨が降りそそぎ、
町はまたたく間に炎に包まれた。

竜舌蘭に火がついた。
麓の一本杉も燃えあがった。
屋根もアンテナも火柱とともに崩れ落ち、
逃げ惑うひとたちの上に落ちてきた。
病院にも映画館にも、
工場と消防署にも爆弾が炸裂した。

火の手から逃れたひとたちは、
フーガを閉じ込めた地下室に駆け込んだ。
しかしそこに彼の姿はなく、
タオルを縫い合わせた大きなマントが
落ちているだけだった。
耳をすますと、
地上の爆音にまぎれて確かに泣き声が聞こえた。
フーガが町をさまよっているのだ、
とみんなはささやきあった。

やがて人びとが地下室から出て来たとき、
火はすっかり収まっていた。
焼け野原のあちこちに水たまりができていた。
しかし、どこを捜しても
フーガはみつからなかった。


まもなく戦争は終わった。
人々は瓦礫をかたづけ、
仮小屋で生活をはじめた。
ラジオから新しい音楽が流れた。

平らになった町で、
いつからか夕暮れになると
遠くから鳥の声が聞こえるようになった。
それはまるで
ひとが泣いているように聞こえるのだった。
フーガが自分たちのかわりに
泣いてくれているのだと、噂するひともいた。
つらい時代を思い出すからと、
耳をふさぐひともいた。


あの日、山で迷子になった子どもは、
すっかり青年になった。
今はパルプ工場で見習いとして働いている。
一日の仕事を終えるとひとりで丘に登る。
彼の肩には、タオルを縫い合わせた大きなマントがある。
小さな町を見おろす彼の耳に、
あの夜聞いたフーガの泣き声にそっくりな
鳥の声が聞こえてくる。

西日に照らされながら、
ゆっくりと目をとじ、
その声を聞いている。









自由詩 泣き虫フーガ Copyright 村田 活彦 2014-01-17 22:32:49
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