俺はトラックの運転手なのだ〜2
純太

(TOXICを頭の中で♪しながら)

俺はトラックの運転手なのだ
俺は骨の髄まで運転手なのだ
居眠り運転してても目的地に着いてしまうのだ
これは本当のことなのだ
そんな調子で大きい事故もやらずに
20年間運転手なのだ
不思議なのだ
でももう若くないのだ
運も尽きてきてると思うのだ
やはり車は鉄の塊なのだ
免許更新時に試験場で見た映画は更新していて
有名な俳優を使っていたけど最悪だったのだ
もっとグロい映像みせなきゃ事故は増えるのだ
火に対しての用心は熱いとわかった時から始まるのだ
しかし挿入歌を歌っているさだまさしの歌い方は
グロかったのだ
止めを刺されたぐらいグロいイイ歌だったのだ
だから今は気持ちを入れ替えて運転中眠くなったら
配達中の宅急便の運転手のように
どこであろうとトラックを止めて
即仮眠するようにしてるのだ

俺はトラックの運転手なのだ
わっぱ転がしながら携帯電話で話もできるのだ
だって俺は骨の髄まで運転手だからなのだ
ちゃんと子供も確認できてるのだ
若い女性を轢いたら罪が重いのだ
だから若いであろうと思った女性もちゃんと確認できてるのだ
さらに皆さん全部確認できてるのだ
でも行政うんぬんなんかより
車を運転しながらの携帯電話使用はやめることにしたのだ
人の命はとても尊いのだ
東西南北ほどに尊いのだ
物へ今一度尊敬の念を持たなきゃいけないのだ

でもそんな因果応報で今年  やりそうだな なのだ
気持ちかなり入れ替えても
苦い果報は寝て待った後にやってくるのだ
それが人生なのだ

俺はトラックの運転手のくせに言葉を紡ぐのだ
高速道路のパーキングエリアに止まり
フランクフルトを食べジョージアを飲みながら
携帯電話に言葉をピコピコ打つのだ
他人は俺の言葉の放列を
幼稚だとか まとまりがないとか
言葉を知らないとか 計算がないとか
綺麗過ぎるとか 暇人とか
色々と言ってくれるのだ
でも俺は孤独なトラックの運転手なのだ
人に読んでもらいたいから書いてもいるのだが
さらにピコピコ音を出すスピーカーやCPUやハードディスクや
電線やテーブルや壁や椅子や塩辛やジョージアやストーブや
とにかく喋らん物へ語りかけたくて書いてもいるのだ
喋らん物は素直なのだ まとまりがないのだ
言葉を知らないのだ 計算がないのだ
綺麗過ぎるのだ 暇なのだ
ゆえに共存しているという息吹を感じるのだ
だからキツイこと人から言われても
それでいいのだ になってしまうのだ
でもそんな自分に正直もやもやすることもあるのだ

俺は自分の紡いだ言葉を
自分の手で紙に書いて地下に埋めるのだ
なんてよく聞くような言葉だが
俺は本当に埋めるのだ
気が向いた地下に気が向いた時に埋めるのだ
土産も持たずに地上に生まれ
土産も待たずに地下に帰るのだ
この地上で生きて生きて地下に帰るのだ
俺も俺の言葉も地下に帰った時に
俺の歴史はささやかに地球に残るのだ
そしていつか地球がなくなる時にさえ
宇宙に残せるのだ
手作りの言葉をあっちこっちの地下に埋めてこそロマンなのだ
俺にとってまじりっけ無しのロマンなのだ
人類が滅亡するか否かのカギは
「言葉」にあるとNHKが言っていたが
俺は俺なりにであるのだ

俺は皆さんの詩をまだまだ身で読めないのだ
例えば毎日クロスする限りない車に似ているのだ
気がついたら通りすぎてしまっているのだ
たくさんたくさん小さくなってミラーから消えていくように 
なのだ
そのように有り難い珠玉の言葉達が小さくなっていくのだ

俺はまたメロディーを作りたくなったのだ
メロディーを埋めてないことに気がついたのだ
皆さんが紡いだ素晴らしい言葉達に
節目として感謝しつつ


自由詩 俺はトラックの運転手なのだ〜2 Copyright 純太 2005-01-13 23:00:52
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