「抱かれた月はちぎれて」
宇野康平

年の末が迫る満月の夜の事。湖に一人、世を恨み、目の前に映る
美しき月を妬む病弱な青年がいた。細い身体に合わせたかのよう
に華奢なフレームをした眼鏡の鼻当てを、クイと指で動かして、
青年は前々から用意した口ぶりでセリフを口にする。

「月よ。水面に抱かれ惰眠を貪る月よ。そなたはまぎれもなく月
であるが、真の月ではない。水に抱かれた月の、弱きことを私は
知っている。それを今宵、証明しよう。」

青年は足元の小石を拾い。狙いすまして、月の丁度中心に入るよ
うに投げる。

フー、チャポン

チャポン

チャポン

「フフ、フフフ、フハハハハ。それ見たことか」

月に吸い込まれていった小石が姿を消し、その中心から波が規則
的な動きで広がっていく。月はちぎれようとしていた。

常に、美のシンボルと言わんばかりにただ、そこに存在する円描
くものは、その形を乱した。しかし青年は目論みを誤算したこと
に、直ぐに気づいた。

なんと、波に崩れいく月が、華を咲かせたかのように美しい。青
年は苦行の断食を抜け、雨林の中、白連愛でる仏陀の姿が頭に、
情景として浮かんだという奇跡に自らを失っていた。

我を忘れて、見惚れている自分の頬を数度叩き、歯ぎしりの鈍い
音が鼓膜を揺さぶるころ、踵を返して砂利に足を取られながら青
年は湖を後にした。


《劣の足掻きより:http://mi-ni-ma-lism.seesaa.net/


散文(批評随筆小説等) 「抱かれた月はちぎれて」 Copyright 宇野康平 2013-12-25 21:51:04
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