新しい感情
カワグチタケシ

歩きつづけていればいつも風のなかにいられるのに
立ち止まればいつも後悔ばかりあふれ出す
そんな思いを振りはらいながら地下鉄の駅まで
強い日差しに照らされて歩く

明け方に見た夢のなかで傷つけたのは
もう何年も会っていない古い友だち
殺してしまったいくつもの想い
不用意な言葉で、しぐさで、目つきで

夜中降った雨が上がり、とても静かな朝
胸の底に新しい感情が生まれる

翌朝、集合住宅の扉から男がひとりずつ出てくる
ふらつきながら、あるいは、ちから強く
それぞれの足どりで地下鉄の駅に向かう
そのひとりが君だ

反対側の窓からつけっぱなしのテレビの声が
外国の暴動を知らせる 煙の匂い
新しい血液がアスファルトを覆うころ
ベランダに真新しい洗濯物が干される

旅先の友だちからポストカードが届く
僕らはいとも簡単に、爪を切るような頻度で
経験というものを信じてしまう
そして真実はいつも経験を裏切る

たとえば、地平線の果てまで水田が広がっている
視界の左側には丘陵地帯
丘の上には空色の給水塔
それは間違いではない、そして正しくもない

夜中降った雨が上がり、とても静かな朝
胸の底に新しい感情を見つける

どれだけの速さで自転車を漕ぐことができる?
どれだけ正確に風の色を見分けることができる?
沼と湖の違いはなんだ?
知ることは経験なのか?

果てしないリフレインを置き去りにして
チャコールグレーのワンピースで
近づいてくる美しい人
彼女は潮流に揺れる海藻のように美しい

夜中降った雨が上がり、とても静かな朝
胸の底の新しい感情を見つめる

高い空に浮かぶひつじ雲を
宇宙ステーションが見下ろしている
雲の影も偏見も暴力も殺戮も
宇宙ステーションが見下ろしている

夕暮れに草を食むひつじたち
女の子たちのスカートは西日に透けている
帰る家のある者には時刻を知らせる鐘が
そうでない者には夜が降りる音が聞こえる

夜中降った雨が上がり、とても静かな朝
胸の底の新しい感情に名前をつける

思考は事実ではなく
単なる思考でしかない

空を指差して
指差した空のむこうに何もなくても
新しい市街地に小さな靴下が干される
新しい市街地が小さなつぼみをつける

夜中降った雨が上がり、とても静かな朝
胸の底に新しい感情を見つける

 


自由詩 新しい感情 Copyright カワグチタケシ 2013-11-30 02:04:26
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