水島英己「小さなものの眠り」を読んで 〜引用を生きる〜
中川達矢

 8月上旬に水島さん(と呼ばせていただきます…)から、新詩集の「小さなものの眠り」を送っていただいた。1ヶ月越しとなってしまったが、その感想を述べたい。

 まず、一読して感じたことは、私が飯島耕一を好んで読んでいることもあり、その飯島さんに詩のスタイルが似ているということだ。具体的に言えば、実在する作品からの引用があり、場所と人物に関する固有名詞の多用であり、そして、それらの場所や人物を実際に生きるということだ。それはどういうことか。この詩集に即して言うならば、島尾敏雄や新井豊美らの実在した人物を知識として語るのではなく、それらの人物と共に生きた時間を語り、また、彼らがかつていた場所を今になって水島さんが生きるということだ。そのために、水島さんがとった行動は、それらの場所を歩くというごく簡単なことである。だが、歩くだけで詩が生まれるわけではない。彼らが生きていた過去の場所と水島さんが生きている(歩いている)現在の場所を結ぶことによって、詩が生まれる。この結ぶという行為が、この詩集の要であると言えるだろう。この「歩く」ということと「結ぶ」ということに主眼を置き、筆を先に進める。
 詩集の中からいくつかフレーズを引用してみる。

 水と水が出会うところ、というレイモンド・カーヴァーの詩を思い出す。

 死と生は出会いと別れを繰り返し、そこに謎のような淀みをつくる。
「マングローブの林」

 かつて島尾敏雄がいた場所に訪れて、語り手はカーヴァーの詩を思い出す。汽水域という場所。それは単に「水と水が出会うところ」である。だが、現在から見れば、その汽水域はただの湖であるかもしれないが、その湖と思わしき場所は、どこからか流れてきた水が溜まってできたものだ。つまり、かつて川か何かであった過去を背負い、現在にあって水の淀みとなっている。しかし、現在にいる語り手を含む私たちに現れているのは、ただの淀みでしかない。そうした現在から過去を拾い上げること。もしくは、過去があることで現在があると再認識する慎重さが、この語り手の特徴と言えるだろう。

 生と死はどこで出会うのか?
 空と川はどこで出会うのか?
 わからないままに、ただ流れている
「鶴ヶ島まで」

 丘をのぼる。
 つぼみの桜とメタセコイアの大きな樹。
 信と不信とをからませて花粉が飛び交う春を生きる。
「成熟すること、崩壊すること」

 こういったフレーズも印象的で、汽水域の発想と結びつく。二項対立や二元論によって定義づけられた二極にとどまることを拒む。すべてのことは、必ずしも結論づけられるものではなく、どちらの場所ともつかない、迷いの状態。そのようなネガティブのように感じられる迷いという場所を探し求める語り手。その語り手の姿からは、生の力を感じさせる。そして、かつて生であり今となっては死となっている人物の場所を歩くことで、語りてはその中間を生きている。

 マラムレシュの羊飼いの少女と

 出会うことができるのだろうか
「ふるえるもの」

 過去との出会いを求める姿がここにも表れている。
 しかし、語り手は現在にある場所を歩くだけではない。

 「みちすじ」はかなしみに似ている
 かつて、そのとき、何かが
 わたしをいざない、その道に立ち止まらせたのだから。
「かつて そのとき 何かが」

 このように立ち止まることも時には必要になってくる。思い出すこと、考えること、そのために立ち止まり、現在にいながら過去を思うこと。そうすることで、現在にいる語り手は自らを過去の場所や人物と結ぶことができる。
 
 歩き、立ち止まり、過去と現在を結ぶこと。それらがこの詩集における根幹であるが、ただ、この行為はあくまでも語り手の人為的な行為に過ぎない。話を初めに戻すならば、「水と水が出会うところ」である汽水域は自然の業である。そうした自然であり、場所に関しては、水島さんが「ノート3」と題したあとがきに思いを記している。

 「歩きながら考えたことがある。場所と問題、場所と主題というようなこと。(中略)、置き方の問題もあろうが、まず場所の場所性ということを第一にし、そこに君の主体や問題などをありのままに置いてみること、そこから出発したらどうか、などと考えながら歩いていた。(中継)私が言いたいのは、我々の今、ここの場所性(それは我々の「主体」性とは違う)を具体化すること、それを大切に考えることからはじめようということだ。」
 「ノート3」
 
 このあとがきを読めば、私が今まで述べたことも無に帰するかもしれない。それぞれの場所を訪れるにあたって、水島さんは、場所を自分のものとして所有してしまうのではなく、あくまでも場所の場所性なるものを優先し、そこに自分を置くという姿勢でいる。その時、場所が積み上げてきた歴史に水島さんが浸り、過去と出会うことができる。現在にいる水島さんが場所を所有してしまっては、過去と出会うことはできなかったであろう。
 そこで詩集に話を戻せば、度々目につくのが、いくつかの詩に付されたサブタイトルである。そのサブタイトルだけを拾い集めれば、「島尾敏雄の場所へ」「新井豊美の場所へ」「カヴァフィスの場所へ」と「○○(人物)の場所へ」と統一されている。ここで「へ」という助詞に注目したい。
 日常的に使う「へ」は大別して、二つの場合に用いる。手紙を書く時に使う「○○さんへ(送る)」(宛先)とどこかへ行った際に用いる「この夏は○○(場所)へ(行った)」の二つである。前者は「今・ここ」にいる書き手が「今・あそこ」にいる誰かに対して使う「へ」であり、後者は「今・ここ」にいる書き手が「かつて・あそこ」にいた書き手自身に対して使う「へ」であると区別できるだろう。この詩集におけるサブタイトルに用いられた「へ」は無論、後者である。だから、「島尾敏雄の場所へ」の後に言葉を補うとしたら「行った」となり、島尾敏雄の場所へ行った記録を詩として残していると言える。ただ、これまで述べてきたように、それはただの記録や日記なのではなく、歩き、立ち止まり、過去と現在を結ぶというプロセスを経ているからこそ詩が生まれている。そして、「島尾敏雄の場所」に限って言うならば、加計呂麻島という地名があるにも関わらず、水島さんはそれを「島尾敏雄の場所」と言い換えている。島尾敏雄と大して縁がない私にとっては、加計呂麻島は地名としての、または、概念としての加計呂麻島でしかないが、水島さんにとっては、加計呂麻島が「島尾敏雄の場所」としての価値を帯びて見えてくるのだろう。そうした価値を見出しているからこそ、その場所が積み上げてきた歴史(場所性)である過去と現在に生きる水島さんが結びつき、詩が生まれている。ただ、そのように生まれてきた詩は、現在にあるとも言えるが、過去と不可分に結びついており、現在であり過去でもある、または、現在ではなく過去でもない、どっちつかずの迷いの場所をさまよっている。そのさまよいこそが、この詩集の魅力ではないだろうか。
 汽水域は、どっちつかずのさまよいの場所である。どこからがこちらの水で、どこからがあちらの水かの区別がつかない場所。


散文(批評随筆小説等) 水島英己「小さなものの眠り」を読んで 〜引用を生きる〜 Copyright 中川達矢 2013-09-09 16:49:15
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