風のオマージュ その5
みつべえ

 ☆清岡卓行「子守唄のための太鼓」の場合






 ご要望にお応えして清岡さんでいきます(笑)
 と決めたものの、待てよ、そういえば、この詩人の作品、まとめて読んだことがないのでは。一冊の詩集で読破したことがない。アンソロジーでしか味わったことがないぞ。では最初に読んだ作品はと記憶をたどれば、はるか昔、高校の修学旅行で京都へ行ったとき(ちなみに私の郷里は北海道斜里町)、泊まった旅館の近所の古本屋で買った文庫本のなか! ン十年後のいまでもその本は私の本棚にある。
 安西 均・編「戦後の詩」(現代教養文庫)。昭和37年初版発行だから、買ったときはすでに昔の本だった。うーむ、あれからさらに茫々と歳月は流れた。我ながらすばらしく無駄に生きたもんだ(笑)。あ、そんな話は置いといて、その時間の経過に変色し、いまにも崩れてしまいそうなページをそっとめくって一篇の詩をさがす。
「子守唄のための太鼓」。これが私が清岡さんの言葉に触れた最初の作品。

 二十世紀なかごろの とある日曜日の午前
 愛されるということは 人生最大の驚愕である
 かれは走る
 かれは走る
 そして皮膚の裏側のような海面のうえに かれは
 かれの死後に流れるであろう音楽をきく

 うん、「人生最大の驚愕」っていうのが当時の私には新鮮だった。とくに「きょうがく」と顔面を歪ませて発音するのが(笑)。「かれは走る/かれは走る」の疾走感もいい。ここは後半の「かれははねあがる/かれははねあがる」と対になって躍動する感じ。ワクワクする。「二十世紀なかごろ」は1950年頃? いやあ、古いなあ。でも言葉はちっとも古びていない。

 人類の歴史が 二千年とは
 あまりに 短すぎる
 あの影は なんという哺乳類の奇蹟か?
 あの 最後に部屋を出る
 そのあとで 地球が火事になる
 なにげなく 空気の乳首を噛み切る
 動きだした 木乃伊のような恐怖は?
 かれははねあがる
 かれははねあがる
 そして匿された変電所のような雲のなかに かれは
 まどろむ幼児の指をまさぐる
 ああ この平和はどこからくるか?
 かれは 眼をとじて
 誰からどのように愛されているか
 大声でどなった


 ン十年たっても、あいかわらず説明できない。でも「空気の乳首」とか「木乃伊のような恐怖」とか、わけわからんけど妙に魅かれる表現で、「あまりに」「あの影は」「あの」と「行頭」に「あ」「あ」「あ」と連発しているのも感極まっているようでステキだ。狼狽している。ときめいている。それはもちろん「哺乳類の奇蹟」のせいだ。「人生最大の驚愕」だ。そして、ついにはヌケヌケと「誰からどのように愛されているか/大声でどなった」りしてしまう。こんなあけすけな恋愛詩はみたことがない。ほとんどノロケである(笑)。そういえば「子守唄のための太鼓」というタイトルも意味深。静かに寝かしつけるための楽器が、むしろ心を鼓舞する太鼓とは。(それとも太鼓でも子守唄用の演奏法って実際あるんだろうか?)
 というふうに読む私の想像力には、なんの責任もありません(爆)。

※ すいません、「石膏」か「氷った焔」でやってほしかったというツッコミは受けつけません(笑)。原口統三や伊達得夫との交遊について一言っていうのもナシです(笑)。だいたい私はご健在の方のオマージュをかくつもりはなかったのです。ほら、いやあ、なんか恥ずかしいというか、失礼といおうか、あー、これからもこんな感じでシリーズ続けます。どこからかクレームがつくまでは(笑)。




●清岡卓行 ( 1922年〜)

大正11年生まれっていうことは、現在81歳。「戦後の詩」に載っていた敬愛する140名の詩人たちもほとんど鬼籍に入りました。月並みですがご長寿をお祈りいたします。インスタント食品ばかり食っている、いまの若者の方が短命です(笑)。



散文(批評随筆小説等) 風のオマージュ その5 Copyright みつべえ 2003-10-31 15:20:16
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