夢中になったのは三十分、(それが何日何十日何ヶ月何年何十年も)
ヨルノテガム






 例えば 一本の線があったとして
 横なのか 縦なのか 斜めなのか 影があるのか
 その一本の線はなだらかな波打つ曲線に
 恋しているのか そうなりたいのか 空腹なのか

 ふわり、薄青い空に浮かぶ雲から
 一直線の線が降りて
 木々の枝葉に積もる強固な綿雪へと
 手をつなぐように肩を組み


 *


 例えば 一本以上の直線があったとして
 二本なのか 三本なのか 四本なのか
 それが縦なのか 横なのか 平行なのか
 多角形の迷路の、或る方向性を単に示すだけの
 存在なのか、いや
 眩しい太陽光の分身なのか―――夢か または
 夢の使者なのか

 ここで初めて私が現れ
 数を気にしたり、少しズレた二本の角度を見つけたり、
 四本目の次は五本目がきっとあるだろうと願ったり、
 何本かを一気に均一に切り揃えたり加工することができた
 三辺や四辺以上で囲み 空間や空白を思いのままに
 捉えることができた
 柔らかで幽かな角度の曲線とも手をとりあって、
 あらゆる存在の形を蠢かせ、あらゆる歪む世界を垣間見た
 存在を重ね合わせ 思うように分離し
 切れ切れの在りかを名付けてみたりしたものだ

 惑星からの視点を持ち、もしくは
 微細な万華鏡の世界を拡大して透かし驚き溢れる
 それらを簡単に飽きるほど、線は省略化され
 (逆に厳密に映し選び取られ)
 時には らせん状に巡り、無重力においては 放逐され消えた
 
 (暗闇に「線の誕生を見た」という噂を聞くが、 )


 *


 例えば 完全な円・(何が完全かはちょっと言いづらいが)
 完全な楕円があるとして

 何かこう、ちからが働いていたとして
 その均衡が取れているとき 取れてしまったとき
 遠心力ならぬ 円心力が 全容を掴む

 像は 断片の (線・直線・曲線などの)集積集会であるが
 遠い線も身近な線も歩む足の足場となり積み重なり
 立体感を増してゆく

   物語があり、嘘の物語があり、
   思いつかないと思われるものも とっくの昔にあり、
   成され、でも嘘も盛られ、迷わされ、
   真実なんてあっけないわネ、とパターン化してみたり
   途切れたり。
   輪のある土星や銀河の 壮大な渦を知るとき、形とは
   力とは 均衡とは と、生命の燃える 点 を知る
   マッチに灯す火のような


 *


 遠い線も
 身近な線も
 私という生命の燃える点の足場となり
 積み重なり
 なぜだか立体感を増してくる
 いつしか それは
 始点もない 終点もない
 形の定かでないものへと
 変化している
 始点もない 終点もないものなんて
 化けものじゃないか
 点の集まる太陽へ銀河へ
 いや銀河、太陽から点として
 燃え落ちてきたのか
 命のことを聞きに帰りたくなる
 今、この或る形のことについて

 夢中になったの三十分、
 そんなのが 何日何十日何ヶ月何年何十年
 回り続いてきた














自由詩 夢中になったのは三十分、(それが何日何十日何ヶ月何年何十年も) Copyright ヨルノテガム 2013-08-06 00:42:12
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