キツネリスといえば/アライグマといえば
かんな



つらつらと書いてしまう
事象と事象のはざまに時々揺らぎが存在するような
そんな感覚でいて
ことばとことばの間にもそれらの主張するべき事柄が
あるのではないかと期待して
書いてしまう
これは公然の秘密だけれども
何かしらのおわりを用意してしまった時
そこに如何に着地するかを考えすぎてはつらつら書いてしまう
つまりはわたしがそうなのだが

そうするとこのことばの羅列にすぎない文章が
少々恰好をつけた〆みたいなものに到達してしまうのではないかと
考える方がいるかもしれない
しかしそれは到達というよりある種の淘汰だ
ここである種と使ったことにはたいした意味をもたないことを表している
せっかくつらつら書いた文字列ならば
そのままに流してしまえばいいものを
結末を設けることで一斉にことばたちが右ならへをはじめてしまいつまらない

ここで多少日常をさらけだしてみる
今朝は早朝三時に起床したかと思えば隣で寝息を立てていた夫を起こし
性交に及んだ
その後まどろみの中うとうとすると思いきや
四時頃にはふたりで釣りに出かけたのだった
釣りは夫の昔からの趣味で実は
今日までわたしは一緒に着いていくことなどしたことがなかった
夫婦になった今
お互いに許さざるべきところは許さざるべきところとして何らかの妥協をし
分かち合える部分はそれとして分かち合う
そんな生き方が正しいような気がしていたが
今日一緒に釣りをしてわたしが感じたことというのは
まだまだ溶け合い互いに変化していく将来の可能性というものを
ふたり分かち合っているのだなあということだ

というおわりをやはり述べてしまうことがやはりつまらないのか
そうそう
キツネリスといえばナウシカ
アライグマといえばラスカル
といったような夫婦の会話のやりとりの根源は性交にある
そう思う





自由詩 キツネリスといえば/アライグマといえば Copyright かんな 2013-07-28 08:20:21
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