アラウンド・フォーティーの手記
yamadahifumi
『 いや、もう聞いて欲しいんだけど。私、もう三十五になっちゃった。三十五。・・・もう、数字にしてくれるな!・・・っていう年齢よね。・・・でも、私は、幼稚園児みたいな、おこちゃまみたいな精神年齢なのよね。・・・自分で言っちゃうけれど。でも、みんなそれは同じだから、いいじゃん、と私は思う。みんな取り繕ってるけど、ちょっとでも自分の考えをまともに口に出す機会があったら、すぐに空っぽの人間だって事がわかる。まあ、そんな奴ばっかり。でも、それがそんなに気づかれて目立たないのは、結局、空っぽ同士には相手が空っぽに見えないからだっていう事。
余計な事言っちゃったけど、私は私の人生のざんげをしたかったのよ。・・・いや、ほんとに。私は普通の女で・・・いや、私は結構、美形の女だったし、今でも、まあ、そうなの。これを自慢だと思う人もいると思う。でも、私、ほんとにもてたの・・・。それで、私はそんなつもりはなかったんだけど、結構その、セクシーな感じに見えるらしいのね。・・・で、私と会った男共はみんな、私と「やれる」って思って、近づいてくるわけ。・・で、私はその中で、不潔そうな奴と、悪そうな奴を省いて、大抵の男とセックスしたわ。で、その中で嫌なのは、『私を所有している』みたいな感じで私とセックスする男。・・こういうのはほんとに最悪。こいつらは、「もうこの女は俺のものだ」なんて顔して、セックスの後に自分の武勇伝を語ったりするの。こういうのにはほんと、うんざり。勝手に私を所有した気になって・・・どうせ、こんな馬鹿は、居酒屋にいけば、「俺の女がよお・・・」なんて、同僚にぶつくさ言うに決まっている。そういう男は一度寝ると、もう会わなかった。電話番号とメールアドレスを消去して。
・・・でもね、私、聞いて欲しいの。・・・私が気付いた色々な事を。・・・どうして、私達女が男とセックスするかっていうと、それはどっちかというと、快楽を目指しての事じゃないの。・・・いや、そういう人が沢山いるって事は私も知っているわ。でも、少なくとも、私はそうじゃない。私はね・・・これは意外と思われるかもしれないけど、安らぎを求めてたの。・・・いやほんとに。だって、男っていうのは、女と同じくらいどれもこれもろくでなしなんだけど、私を抱きたいと思うと、その途端から、私には優しくなるの。態度がね。・・・それが、私には大切だった。そして、セックスの時も、優しければ、それは最高。・・・私はその時、はじめて、男に抱かれる喜びを感じるの。・・・それは安息の瞬間。もちろん、快楽もあるけれどね。でも、それ以上に、私は誰かとつながっている、誰かの手の中にいる、というその喜びがあるの。・・・かといって、私を物みたいな扱う奴はごめん。・・・女って、結構身勝手ね。
・・・でも、私はこの年になって気がついたけど、若い時はわからなかった。・・・例えば、男っていうのは、賢そうな連中もいれば、さっき言ったような優しい連中もいるけど、そういう賢さも優しさも、全部、そいつの股間のチンポコ一つに操られたものだっていう当たり前の事実をね。・・・もちろん、知識としては、「男は狼」って子供のころから知ってたわ。でも、実際、そうだとは思わなかったの。
でも、それって情けない事だと思わない?・・・ほんとに、さあ。・・・だって、どんなに賢そうな人もかっこいい人も優しい人も、そのほとんどの人が、自分のちんこを相手の穴に突き刺したいがために生み出した、一つの手練手管だって事なのよ。・・・もちろん、私だって、人の事いえないわよ。・・・いえない。・・・だけどさ、それって、情けないというか、面白い事だと思う。・・・だって、物凄くいかめしい顔したおじいさんも怖い顔したお兄さんもキリッとした青年も、みんな、自分のちんこに操られて、右に左に人生を惑わされて、ふらふらと道に迷って、そうやって路地でぶっ倒れてその儚い人生を終えてしまうのよ。・・・そう考えると、男って、結構、かわいい生き物だと思わない?あなた?・・・。股間の、あんな小さな棒一つにだまされて、自分をめちゃくちゃにしてしまう。それが男って生き物なのよ。・・・アハハ。かわいい。
でも、私達女も、そうはいってられないけれどね。・・・たとえば、私はスポーツとか、サッカーとか野球とかを見ていても、それが全然わかんないし、つまんない。だから、それを見てると、「あ、あの男かっこいいな。デートしたいな」とか、「あの男、セックスうまそうだな」とか、「うわー気持ち悪い。不潔ーーー。あんなんだったら、年収がいくらだろうと、あんなのの嫁にはなりたくないーーー」とか、そういう事考えてしまうの。・・・女って、多分、何にもわかんないのね。・・・なんか、そう思う時があるのよ。・・・女は、『現象』がわからないのよ。さっぱり。・・・でも、愛されてるか愛されてないかとか、好きとか嫌いとか、そういう感覚だけを頼りに生きているところがあるのね。だから、どんなインテリの女も、本当は女っていうのは、現象の事はわからないのかもしれない。それで、自分の好きな人の感情だけは、男なんかよりもはるかにどこまでも正確に見抜けるのかもしれないわね。
とりとめのない事呟いたけどさあ、私、なんでこんな事書いたのか、自分でもわからなんいだよね。文章なんて今まで、書いた事ないし。・・・でもねえ、最初に書いたけど、私ももう三十五、三十五よ!・・・ほんとに。びっくり。嫌なものだわよねえ。・・・ちょっと前までは、男はみんな私を見てる、私を抱きたがってる、そう思ってたって、何の不自由もなかったのに、それがこの間、若い男に、ちょっと恋愛の相談されてさ・・・で、まあ、そこそこ良い感じのバーで飲んだのよ。・・・で、まあ、わたしもその子が嫌いじゃなかっし、ちょっといいかななんて思って、気合入れてメイクして、綺麗な服を着ていったわけよ。・・・それで、その子の恋愛相談を受けたんだけどさ・・・それで、ずうっと話聞いてて気付いたんだけど、本当にね、私の事なんか度外視なわけよ。・・・当たり前だけど。その子は、好きな子が職場にいるけどどうしたらいいか、ってぐじぐじぐじぐじと聞いてくるわけだけど、私は、「それはね・・・」なんて言いつつ、ちょっと胸の谷間を見せたりもしてるわけ。・・・なのに、その子は、全くそれには食いついてこないの。・・・で、挙句の果てには、別れる時に、「ありがとう、話聞いてもらえて、助かりました。今度、また、お礼させてください」なんて、気のいい青年って感じで私に言うわけ。それはもちろんいい事なんだけどさ・・・私が呆然としたのは、その子と私は男女二人でこうして飲んだってのに、その子の方からは一切、私に対して「性の匂い」をさせなかったっていう事なの。・・・彼、私の事を、信頼できるオバサマとしか思っていなかった?・・・・。・・・ああ、そういう事に、帰り道で気付いちゃってね、私は愕然として、ああ、こんな風に私は順番に女じゃなくなるんだ、って思って。結婚?・・・ああ、結婚?・・・まあ、それもいいかもね。でも、私は幸福でいたいの。女で、若くて綺麗でいたい。でも、それは夢、夢ってわかってる。でも、夢は破れるものよね・・・。みんな、夢を見て生きているのかしら?・・・きっと、そうね。
そう、きっと、そうね。テレビに出ている綺麗な女優だって、もてはやされるのは二十代前半までだもんね。・・・昔は綺麗で、男共がみんなあそこおったてて見ていた女優が年取ってどうなったとか、そんな事、世間の人にはどうだっていいもんね・・・。テレビの前に出てくるのは、いつも旬の綺麗な女ばかり。・・・それで、旬が過ぎると、どうなるのかしら?・・・寂しい?・・・・それだけで、済むのかしら?
・・・ああ、私、またこんな愚痴言っている。もう、駄目なのね。私も。・・・私も粘れば、あと二、三年は男を惹きつけていられるかもしれないけど、もう、多分、その先はない。・・・いや、きっとない。私はね、説教なんてした事ないけど、(そんな柄じゃないし)だけど、今、若い子達に言っておきたい事を思いついちゃったわ。・・・それはね、人生というものは、瞬間瞬間に流されては駄目っていう事。その時が楽しければいいじゃない!・・・っていうノリがあるでしょ。ああいうノリ、素敵よね。・・・私も、そうやって時間を過ごしてきた。・・・この年まで、ずっと。・・・職を変え、男を変え、化粧を変えて、何にも考えずに生きてきた。男とか酒とか、服とかバッグとかアクセサリーとか。でもね、どうやって区切っても、瞬間は瞬間でしかないのよ!・・・。瞬間は、どう積み重ねても、時間にはならない。・・・これは哲学ね。・・・そう、馬鹿な女の哲学よ。でね、そういう積み重ならなかった瞬間瞬間も、その人には必ず、重荷になる。・・・人は必ず、何にも考えずに生きていた報いを受ける。・・・どうやら、そういうものらしいわね。・・・もちろん、次のように考える人もいるわよ。「あなたはこれまでもててきたんだから、良かったじゃない。私は若い頃から、いっぺんももてた試しがない。・・・ずるいわ!」ってね。・・・でも、考えても見てよ。私の立場を。私は、『もててきた』という高いところから、これから一気に落ちていく・・・いや、今、ちょうど落ちている最中なのよ。・・・そして、この衝撃は確かに私を襲うわ。・・・それも、恐ろしい衝撃よ。この衝撃に私が耐えられるかどうか、私はそれを考えただけでも、本当にぞっとする!・・・。だけど、最初からもてなかった人には、その衝撃はない。・・・その絶望は来ないの。でも、それでも・・・っていう人はいるでしょう。・・・でも、どっちもどっちじゃないの!・・・結局、どっちも駄目じゃないの!・・・全部、全部が!・・・。
だからね、私が言いたい事は、とにかく若い内から、周りに流されないで、自分だけの何か積み重ねるものを持たなかったらダメ、って言う事。・・・もちろん、私にそんな事、全然言う権利がないのはわかってるけど。・・・でも、積み重ねるって言ったって、それが何がっていうのかはわからないわね。・・・うーーーーん、「絵画」とか?・・・。それは、多分、各自見つけて、って事になるんでしょうけど。・・・でも、私にはほんとうにそんな事しか言う事はできない。・・ほんとうに、私は馬鹿だったのね。でも、まだ、大丈夫。当分は、私もまだ大丈夫・・・だと、思う。・・・でもね、私にはわかるの。私がこれまでしてきた事が私を裁きにかけるんだって事が。・・・結局、そんな事を、私達馬鹿な人間に対して先取りして知ってしまえるのが、偉い人の特徴なのかもね。・・・ふと思ったけど。・・・で、私達愚かな人種は、そんな大切な事、人生という大切な事を、後悔という一事によって知ってしまうのかも・・・。そして、私は今、それを知ろうとしている。後悔だけが人を賢くする。だとしたら、後悔がなかった私のこれまでの人生は愚かだったという事なのかもしれない。
私は・・・もう言う事はないわね。サヨナラ!・・・私は私の人生に戻るわ。私はもうだめだけど、若い人、特に若い女の子は、男に騙されて、私のような人生を送って欲しくないものだわね・・・ほんとうに。・・・男がダメな生き物だっていう事を知る事が、女の最初の一歩なのだと、今では思うわ。私には・・・もう、遅かった!・・・。ああ、私の人生ってなんでしょう?・・・私、人生について考えると、苦しいの!・・・ほんとに!・・・・ほんとに!・・・。
サヨナラ、もう、私は行くわ。私はもう、人生の事を考えない。私はね、もう、燃え尽きてやるわ・・・。そう、燃え尽きる。これから、アンチエイジングして、ジムにかよって、高い化粧品買って、それで、この美貌を最後までたもたせてやるわ。そしてそれから後・・・いいえ、後はないわ!・・・今、今が問題なのよ、私にとって大切なのは今、今なのよ!・・・そう・・・・今よ、今!・・・。私はこれから、二十年も三十年も、美しい女として、あくまでも「一人の女」として生きてやる!・・・そうよ!・・・そうなのよ!・・・絶対!・・・絶対・・・・・・・!』
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この文章を書いたのは私の姉である。姉ーーー橘涼子は、三十九歳の誕生日に、崖から身を投げて自殺した。この文章は、私達遺族が彼女の持ち物を整理した時に出てきたものである。これは彼女の日記帳の中に書かれていた。私は、この文章を姉が残した、若い人達に向けた唯一の意味あるメッセージだと思ったので、こうしてウェブ上に発表する事にした。・・・姉は、自殺するその時まで、私達遺族にも、その暗い側面を見せた事は一度たりともなかった。姉は私達にとってはずっと、明るくで朗らかで素敵な女性であった。
2013年7月26日 橘章介