ドラァッ!な一日
済谷川蛍
スタンドって知ってるかい?
精神力を具現化したもの、と言えばいいのか。まぁ、『ジョジョの奇妙な冒険』を読めば早い。
おれはスタンドが使える。ある日、突然使えるようになった。バイクを運転中、バランスを崩し、あと少しでアスファルトに叩きつけられそうになったときに、いきなりスタンドが発動。オラァッと左手で受身を取った。幸い、左手の甲にヒビが入っただけで済んだが、そうでなければ……。警察や医者には信じられないような顔で、奇跡だと言われた。
ちょっと野暮用で、会社に書類を持っていかなければならなくなった。しかもタイムリミットが迫っている。おれはプリウスで3km先の会社に向かっていた。すると向こうから一台の黒塗りのベンツが走ってきた。おれと同じ車線を走っている。おれは、自分がいつの間にか対向車線を走ってしまっていたのかと焦り、周りを見渡したが、そうではない。やはり、ベンツが車線を間違えているのだ。(クソッ、こんなときに!)おれはブレーキを踏んで道路に止まった。しかしベンツは一向に速度を落とさない。おれはハンドルを握ったまま、ベンツを凝視する。ベンツは速度を保ったまま、真っ直ぐこちらへ突っ込んでくる。(こりゃマズイ!)と思い、ドアを開いた。するとベンツはけたたましいブレーキ音を響かせ、5メートルほど滑ったあと、コツンとおれのプリウスを小突いた。(事故だ!)とおれは思った。一体どんなツラしたやつが乗ってやがる。ベンツのドアが開いて、ぬっとヤクザが現れた。開口一番。
「こらおんどりゃあ!こっちゃ急いどんじゃっ道譲らんかい!」
おれは呆気にとられた。ヤクザは目と鼻の先まで顔を近づけ、サングラスの向こうからおれを睨んでどすを利かせた。
「兄ちゃん、事務所行こか」
おれはスタンドを出し(普通の人間にはそれは見えない)、ベンツのボンネットを引っぱたいた。ドンッと爆音が響いた。ヤクザはたまげて振り返り、そして唖然とした。愛車は無残な姿になっていた。フロントガラスはひび割れ、ボンネットは大きくめくれあがり、エンジンは大破してどす黒い煙が濛々と立ち昇り、前輪はどこかへふっ飛んでいた。おれはプリウスに乗ってその場を後にした。
−会社まで300m地点−
踏み切りを前に、嫌な予感がした。一時停止したときに案の定、カンカンと鳴り出した。一瞬アクセルを踏もうか迷ったが、チッと舌打ちをしてブレーキを踏み、サイドブレーキを引っ張り上げた。さらに運が悪く、踏み切りの中に、少女と犬が取り残された。犬のほうは後ろ足に障害があるようだった。そこに、貨車を長々と連結したディーゼル機関車が猛然と突っ込もうとしている。けたたましい警笛とブレーキ音が大気を震わせたが、まず間に合わないだろう。おれは、やはり迷った。0.01秒だけ。
「やれやれだぜ」
おれはドアを開けた。それをバンッと後ろ手で閉めると、三枚セットで999円だったネクタイを外しながら冷静に踏切まで歩いていき、それをパッと投げ捨て、踏み切り棒を持ち上げ、第一ボタンと第二ボタンを外して、ディーゼルが走ってくるレールの真ん中に立った。真正面から見ると、凄い迫力だった。おれは自分のスタンドの破壊力の限界というものを知らないが、なんとなく、それを想像出来る。が、ディーゼルが放つ威圧感は、それを遥かに超えるものだった。
「本気でいくぜ」
ディーゼルとおれの距離が1mを切ったとき、おれはありったけの力を込め、ミドルキックを放った。
オラァッ!
ガンッと衝撃が走る。若干、絶望的な重さだった。右足全体に稲妻が走った。脱輪させる思惑は露と消えた。しかしもうひとつの目的は果たした。機関士が外に放り投げ出されたのだ。右足の痺れが身体全体に伝わる前にそれを地面に着地させ、おれは右の拳を固く握り締め、後ろに引いた。
ウォオオオオオオッ!
オラァッ!
おれはディーゼルの顔面に拳を叩きつけた。おれとディーゼルの相互に半端じゃない衝撃が伝わる。が、やつが蓄えた莫大なパワーはやつ自身をさらに前に押し進め、おれと少女と犬を粉微塵に吹き飛ばそうとする。おれの全てのパワーを搾り出し、お前のパワーを根こそぎ削り取るっ!
オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァッ!
連打連打連打。乱心した千手観音の如く、強烈なパンチを浴びせ掛ける。イケる!と思った瞬間、石炭を満載した貨車がドンッとディーゼルに加勢した。さらにガンッガンッガンッと、次々と貨車がぶつかっていき、そのたびにディーゼルの重量と勢いが増していった。そしてやつは得たいの知れない化け物になった。
野郎ッ……!!
おれはもう無心でパンチを繰り出した。正義や、名誉のためではなく、もしかしたら、少女のためでさえなかったかもしれない。ただ、生き残るために。一秒でも長く、生き続けるために。渾身の力を振り絞り、血に濡れた拳をひたすらやつに叩きつけた。おれは化け物に押されていた。だが諦めなかった。無我夢中というやつだった。何か他に余計なものが入れば、一瞬にして押し潰されてしまう。ただ、パンチ!パンチ!パンチ!ふっと、やつが軽くなった。やっと、やっと、やつの限界が知れた。おれは勇気が湧いた。
と、そのとき。
右の方から、バンパーに「危」というマークの入った巨大なタンクローリーが突っ込んできた。停車していた他の車や、おれのプリウスを跳ね飛ばし、おれに突っ込んできた。ここで、絶望を感じていたら、間違いなくおれは死んでいた。おれは、怒った。まるで神のそれであるかのように、純粋な怒りだった。その瞬間、おれは覚醒した。
「ザ・ワールド 時は止まる!!」
鼻先まで迫ったタンクローリー(運転手が飛び出したのか、運転席の前のフロントガラスが割れている)。そいつの顔面に、おれの全ての怒りをぶちこんだ。
無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァッ!
一瞬にして巨大な鉄のサイコロとなったそれは、道路を跳ね回り、路肩のガソリンスタンド(休業日なのか、店員は一人もいない)の中にスポッと収まった。
「ザ・ワールド 時は動き出す……」
タンクローリーの残骸からチラッと火花が散り、瞬間全てのものは真っ白な閃光に包まれて、全ての音を呑み込み、また再び、全ての風景は現れて、轟然たる爆音が万物を轟かせたかと思うと、ガソリンスタンドの屋根が鍋のように吹っ飛び、巨大な炎の柱が空と雲を焦がした。
おれはもう負ける気はしなかった。そして、もうやつは全ての力を出し尽くし、へとへとにくたばっていた。全体重をかけた、トドメの一発。
「ドラァッ!」
ディーゼルは前輪を浮かせて後ろに吹き飛んだ。貨車はあちこちに飛ばされて大量の石炭を星屑のようにばらまいた。
そして、今ごろになって、春の嵐のような衝撃波が目に見えない津波のように押し寄せ、石炭の煤煙を全て洗い流していった。
しばし、おれはそこに立ちすくんでいた。そして、思い出したように後ろを振り向く。少女も、犬も、かすり傷ひとつない。
そしてもうひとつ、これらのことに比べたら、あまりに下らない忘れ物のことを思い出しそうになったが、それは無視して、今しばらくこの壮大な破壊の跡を、漠然とした一種清々しい気持ちで眺めまわした。