油と身体
はるな
泣きながら歩いた日はひもじくて、自分の体から精子の匂いがした。
似合わない色を着て、どうしてこんなところまで来てしまったんだろうって思っていた。
花は季節によっていろいろ違う。椿とかたんぽぽとかしゃくなげとかあじさいとか。それから蒸し暑く晴れた日の草のにおい。しめって、でも不快じゃない。自分とはぜんぜんちがうものだとよくわかったから、安心して触ることができた。
終わろう、とおもって、何度も世界は終わった。物語を閉じるのと似たように。いちど転んで、起き上がるごとに終わって、そしてはじまった。慣れることなんてできなかった。世界は(物事は)、つねに起こり続け、終り続けていたから。
わたしは走るのが遅かった。ゴールテープを切ったことはなかった。でもそれで、蔑まれることもなかった。くやしくもなかった。ゴールテープを切りたいとも思わなかった。ゴールテープ、の存在をあんまり知らなかった(だって、いつもびりか、びりから二番目だったから)。
表面張力について教わったとき―たぶん父からだった―コップのふちで、るる、と盛り上がる水のおそろしさ―、わたしはわたしをそれと似ていると思った。なんでかはわからないけど。あるいは似ているといいな、と思ったのだ。
コップのふちで、るる、と盛り上がる水たち。
いろいろの種類の液体や油を凍らせる実験もした。水はやはりおそろしかった。体積が大きくなるのがとりわけおそろしい気持がした。油はいつまでも凍らなかった。
冷えた油はやさしい気持がした。それは以外なことだった。冷えた油!いろいろの種類の液体を凍らせる実験について、わたしが得たほとんど唯一の感動はそれについてだった。
つめたく冷えた油!
くらくらした。そのときからもう、わたしは言葉や意味のとりこだったのだ。
そして、あの油から、どうやってか、こんなところへきてしまった。ゴールテープ、いろいろの液体、しゃくなげやあじさい、終り続ける物事たち。さまざまなかたちで残った傷のあとは、冷えた油みたいなものだ。いずれ燃えるかなしさとか。
体は燃えない。そういうことも、わからなかったが、たぶんうっすら気づいていた。
だからあのとき、冷えた油に反応したのだ。あれからもう、体は凍らない。