羊はみんな白くなくてはならないか?
眠り羊
裸の王様は
自分がすばらしい衣装を着ていると思っている
王様は裸だと言った子どもは
王様は裸だと思っている
主観においては
どちらも正しい
客観においては
王様が正しいかもしれないし
子どもが正しいかもしれないし
あるいは
事実は別にあるかもしれない
もしも話し合いをするならば
主観と客観は区別しなければ
話にならないはずだけど
自分の主観がAだから
事実もAだ
相手の主観がBなのは
まちがっている
そういう考えの人もいる
あるお年寄り
中年になってから法学部に社会人入学し
仕事をしながら優秀な成績で卒業
抜群の事務処理能力を認められ
教育委員長も務めた
教育勅語と靖国神社が大好き
近頃のお気に入りは福沢諭吉
この人と話をする度に
私は驚く
この人にとって正しいことは
正しいのだという発想
そうと信じて疑わないものすごさ
憲法の厳しい試験を通ったと
自慢していたけれど
個人を尊重するということを
わかっているとは思えない
その人の子どもは
学業成績すばらしく
大人になって立派な肩書きを得ているが
まるで子どものように自己中心的で
その自己中心的な理屈を押し通して
当然だと思っている
人のあり方として
思いやりを持つということを
親が教え諭すことを怠ってきた結果だ
自分勝手と
自由は
同じではないのに
放置することと
個人を尊重することは
違うのに
私の言葉は
その人には届かない
その人にとって大切なのは
頭の中の「みんな」に認められること
認められ続けること
「みんな」なんて実はあやふやで
多勢になびく程度のものなのに
お勉強ができることが
そんなに大切ですか?
みんなに認められることが
そんなに大切ですか?
はみ出すことは
いけないことですか?
人は違って当たり前
100人いたら
100の意見があっていい
意見をまとめて
協力し合うのと
自分自身の意見といえるものなしに
みんなに付いて行くこと
ひいては
異なる意見を押し潰して
多数派の意見を押し付けることは
全然違う
この国で
個人は十分に尊重されていますか?