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はるな
水でした。
わたしは息をしました。
水の中でした。
水の中でわたしは息をしました。
実際の話です。
あるいは、
想像上のはなしです。
息でした。
はじめに見たものは、無数の息でした。
尊く浮かび上がる、あたたかくしめった、ときにはつめたい、でもやっぱりしめった、呼吸でした。
そして指でした。
忘れていました。
ずっと、忘れていることにしたのです。
でも、思い出しました。
最初の指は、暖かくもつめたくもなかったです。なぜならそれはちょうどわたしと同じ温度だったからです。そしてそれは、途方もなくやさしかったです。
それがやさしさでした。
ずっと、忘れていることにしたのです。
それがたぶん、堅実な方法でした。
わたしはわたしがそうと気づかないほど、生きていたかったです。
ずっと。
季節は窓を開けるたび直角に突き立っていました。
坂道を気持がこぼれおちていくのです。毎日毎日、気持はこぼれおちていきました。そして忘れました。毎日あたらしく気持をこぼしました。枯渇することはなかったです。
それはいつも、とめどなく私自身でした。
だから、いまでも、あの坂道へいくと、たくさんのわたしがいます。
零れおちてからずっと、それきり一ミリも死へ向かえずにいるわたしたちがいます。
七歳や十三歳や十六歳のわたしたちです。
乾いています。
ずっと忘れていることにしました。
でも、思い出しました。
水でした。
壁は、鏡で、かつ扉でした。
そして窓はありました。
水でできた窓だったかもしれません。
でも些細な問題です。
それが何でできているかということは、些細な問題です。
それがそれである、ということのみが、いつも限りなく許された価値です。
あらゆるものに尊さはあります。
わたしたちは、それを、忘れることにしました。
だから遠かったのです。
海を割るひともいたし、
海の上を歩くひともいた。
海を埋めるひとびとが現れ、
海を作る組織さえ誕生した。
でもそんな必要はどこにもなかったと思います。
わたしたちはいつも、何も征服する必要がありません。
奪われるものものは、わたしたちのものではありません。
わたしたちはつねに、何にも対抗できません。
もしわたしがいつもわたしでいられるのであれば。
息と、指でした。
それが最初でした。
塩からい水のなかで、息ができたはずです。
(たとえそれを呼吸と呼ばないのであっても)
わたしは、ひとつをしらなければならない。
わたしはほんとうの、一瞬をみました。
それは世界でした。
世界の終りはつねにそこにあって、
だれもかれもがひとりきりです。
そして、ひとりぼっちのひとはいません。