空に浮かぶ棺
まーつん


  夜には涙を流し
  昼には歯を食いしばり
  そんな 見苦しい表情を
  想い出の中に焼き付けてきた

  大勢の自分達

  心の物置に積み上げた
  記憶のフィルムに踊りだす
  透明なモノクロの自画像
  そんな彼らを 二度と
  映写機にかけずに済むように
  一つに束ね合わせたところ
  彼らは互いに溶けあって
  一体の死骸となった

  それはすなわち
  在りし日の
  自分の未熟さ
  その忌まわしい
  エッセンスだった

  私はそれを葬ろうと
  オークの木の棺に納め
  一通りの儀式を経たあと
  火にかけようとしたのだが

  醜い自分の思い出は
  いっかな 灰になろうとはしない

  そこで仕方なく

  まだ
  肌の色艶も鮮やかな
  青臭い思い出の身体を
  棺に戻して

  今度は
  海に流そうとしたが
  波打ち際に吐き戻されて
  いかめしい棺の箱は あわれ
  砂にまみれて 浜に横たわるばかり

  引き取り手のない思い出に
  墓石を建てて 
  土の下に腐らせるのは
  夢見が悪いので

  春風に
  枝をそよがす林の奥
  人目につかない物陰で
  塵に還るまで風に晒し
  空の運び手に委ねようと

  えっちら おっちら
  一人 棺を引き摺って行った

  ところがだ

  いい塩梅の捨て場を見つけ
  いざ亡骸を取り出そうと
  ズボンのボッケを弄っても
  棺の蓋の 鍵がない

  途方に暮れて立ち尽くし
  やむなくその場を立ち去った

  そして 忘れることにした

  古い楡の木のふもと
  置き去りにされた棺は
  草が覆い蔦が絡みつき
  這いまわる虫に齧りとられて

  やがてはゆっくりと
  緑の苔に覆われる

  そうしてこの
  人目に触れない
  木々の景色の中に
  埋もれていくだろう



  そんな風に願いつつ
  生まれ変わった気分で
  食後の歯磨きをしていた
  ある昼下がりのことだった

  ふと 居間の窓に視線が行くと
  褪せたジーンズ色の秋空に
  小さな黒点が浮いていた

  殺風景な
  都市の写真に張り付いた
  ちっぽけなゴミのようだったが
  目を凝らしてみたところ

  言うまでもなく
  あの棺だった

  気怠い午後の空気に微睡む
  高層マンションの棟々

  その薄雲漂う頂の間を
  数年前 棺に納めて
  捨て去った筈の
  蒼き日の苦い記憶が
  悠然と漂っている


 ゛
  思い出を
  葬り去ることは出来ない

  たとえ世界が
  崩れ落ちたとしても

  あった筈のことを
  なかったことには出来ず
  忘れることさえ 許されない

  それを手放すというのなら
  来世に生きるより ほかはない  ゛



  そんな言葉を囁く声が
  脳裏の奥をくすぐっていた

  裸足につっかけた
  ふかふかのスリッパ
  さあ出掛けようかと
  羽織りかけたまま
  ボタンもかけていない
  薄い青のワイシャツ 
  そんな恰好で

  私はじっと
  棺を眺めていた

  両手をついた
  テーブルの感触は
  妙に冷ややかで

  歯ブラシを咥えた
  口元から滴り落ちる
  白いドロドロも意に介さず

  天井まで伸びた高い窓と
  べランダに並ぶ鉢植え

  そして
  手すりの向こうには

  空に浮かぶ棺

  スモッグに霞む
  街並みの彼方へと
  景色に溶けていく
  風変わりなモノリス


    *


  あれはいつか
  戻ってくる

  抜け落ちた羽のように
  宙を舞い続けて

  翼をなくした僕の手元に



  いつか また





自由詩 空に浮かぶ棺 Copyright まーつん 2013-04-15 20:22:46
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