疲れたときには
葉leaf
疲れたときには、生活の文法から四肢を解き放つといい。朝起きてご飯を食べて順番通りに本を読んでこの時間になれば外で働く、あの時間まで本を読んであのくらいまで仕事を終わらせる、そういう文法からするりと抜け出すといい。そうすればそこには、君がまだ知らない文法が、誰から与えられたわけでもなく君自身が作り出せる文法があるのだ。
とりあえず外に出てみよう。すると陽射しは柔らかく温かく、君の体の南側、その内側まで射し込んでくる。それに、風は敏感に体をうねらせながら、君の頬や手を洗っていってくれるだろう。足元にはしっかり土がある。板のようだけれどどこまでも続いていく板だ。君はこの板の上に空想を滑らせながらどんな街にでも行ける。
言葉など何も要らない。ロジックはなおさら不要だ。意識なんて大層なものも消え去ってしまう。つつじの葉に触れよう、桜の香を嗅ごう。言葉で区切られていない世界はとても滑らかで全てがつながり合って溶け合っている。そのつながりと溶け合いの中に君は入る。もはや君はいない。ただ移ろいゆく光と影があるだけだ。そう、もう君はいないのだ。
いない君はふんわりと歌を歌う。ただの短い叫びかもしれないがそれこそが本当の歌だ。いない君はゆっくりと走り出す。たった二三歩かもしれないがそれこそが本当の疾走だ。いない君はそうして涙を流す。とめどのない涙だがそれこそが本当の喜びだ。ああ、君は本当に人間になったね。そして本当に人間でなくなったね。