街について
Debby


 今更思うことなんだけど、朝目を覚ますっていいことだよね。目を覚ますために朝があって、眠るために夜があるとしたら、それはとても幸福なことで。例えば、ヴォツニアヘルツェゴビナって君がつぶやいて、なんだか素敵な響きだねってわかりあうみたいな。雨が降り始める前のあの空気に、わずかな高揚を嗅ぎ取るみたいに。厚く積み重なる茶ばんだ雲と揺れる窓ガラスの音に。

 酔いが訪れて、去って行ったあとに。祭りが終わった後、草むらに取り残された子供たちは、いつかそこに家を建てた。煉瓦の家と木の家、町の真ん中には噴水が作られた。そこだけが祭りの匂いを少しだけいつも残していた。春の季節は良かった。降り注ぐような桜並木の中を、かつて子どもだった君たちは歩いた、もうずっと歩いていた。雨の気配はずっと遠かった。雪の降らない町だった。平らな屋根の上で、嵐を待っていた。

 三階建てのアパートの、一番下に住んでいる。庭が少しだけある。とかげとかなへびの親子が住んでいる。4月になったから、君たちはゴーヤを植える。目を覚まして、クリーニング屋にもう三か月も忘れていたスーツのことを思い出すときの、あの気持ちのことを。春は良かった、たくさんの言葉が積み重ねられた。風が強い日もあった。レモンバームの苗が蜂を呼んでいた。とてもきれいな歌声なので、彼女のことがとても好きだった。

 舫われた舟たちの、頑なな無口さが嫌いじゃない。もうずっと昔、君たちは子どもだったから、今日は船出の日になってしまった。雨降りの気配は、手を伸ばせば届きそうなところにあった。僕たちは赤身肉をかみしめるボクサーみたいな顔をしていた。中身のない約束と、崩れ落ちそうに積み上げられた空手形を、まるで切実なことみたいに分かち合っていた。ポケットに詰め込めるだけ詰め込んで、いつか忘れてしまうんだ。そう遠くない未来について。忘れてしまうんだ。

 蝋燭の灯りで花を育てる人が、君の故郷にはいる。彼女はもうずっと、それを繰り返して生きている。それは君の母親だ。窓のないアパートで、彼女は琺瑯の手鍋で湯を沸かして、電気湯沸かし器の機嫌をとりながら生きている。雨はもうずっと遠くに去ってしまった。集合暖房を使う季節の終わりは彼女にとって良かった。花はいつまでも育たなかった。とても良かった。

 街にはもう誰もいなかった。大人たちはどこかへ消えてしまった。子ども達は家々に火を放って、手をつないで踊った。とても良かった。まるで、何もかもがそこから始まるみたいな気がしたものだ。春は良かった。集合墓地にまで桜を植える町で、君たちは育った。死者たちすらハイキングのハムサンドを楽しみにしている気がしたものだ。なぁ、僕のたまごサンドと君のジャムサンドを交換しないか?

 雨が降り始めた。身を切るように冷たい春の雨だ。雨が降る日も良かった。少し待てば雨は止むと知ってたからよかった。そして僕たちはセルフィユを植えた。スープにすると、うまいんだぜこれ。

 

 


自由詩 街について Copyright Debby 2013-04-01 11:40:03
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