川柳が好きだから俳句を読んでいる(8、古家榧夫のこと)
黒川排除 (oldsoup)
全句集のストックが無くなったのでここで一旦区切りとするが、最後は本当につい最近買った古家榧夫のことを書こうと思う。この名前に出会ったのも全句集(内容的には俳句集成だが)に出会ったのも、何度か書いてきたとおりインターネットで安い全句集の古本を検索しまくるという暴挙によってのことだが、出会ったはいいものの実例が全くない。CDでまったく知らない聞いたこともないひとの作品をジャケ買いするように、この古家榧夫の背景だけで買うという気分には(財布的には)とうていなれない。背景というのはすなわち、新興俳句に携わっており、京大俳句弾圧事件では投獄され橋本夢道と同じ獄中に二年もいたという事実、そして野尻抱影と親交が深かったという事実である。
橋本夢道は新興俳句の、定形を甚だしくぶっ壊すという界隈では有名なので知っているひとも多少いるかもしれない、あの妻のことが大好きな俳人だ。古家榧夫も一度妻をなくして再婚し、愛妻家であったらしい。野尻抱影はちょっと畑が違うけど、星の名前はほとんど知らないが星を見ることは好きなおれにとってはとても楽しい、星にまつわるエピソードをたくさん書いたひとなのでよく知っていた。これらのひとに囲まれていながら、実際に作った句の例がインターネットに乏しい。どれだけ血眼になり探しても「父葬りその夜の雨を吾子と聞く」「いくところ水色寒けき道ばかり」「くちづけにちまたの霧の来て去りぬ」の三句しか見つからない。だから、この実例と、作者の背景で決めるしかない。時間は深夜五時、もうとっくに寝るべき時間だ、明日になると気分がリセットされてまた一から悩むことになるかもしれない、なるほど、では買おう。そういう流れで購入にいたり手元に届いたのが古家榧夫全句集だった。
雪崩──雪崩──凡てを我に葬り去れ
まあおれ個人の句集とのしょっぱい出会いの物語はともかくとして、内容は良かった、想像と違っていたけれども良かった、単純な感想だが。想像と違っていたというのは、インターネットで血眼になり探した三句がいずれも雨、水、霧だったので、水に造詣が、あるいは執着が深いのかと思ったらそうでなく、実際は死に対しての深い執念を感じさせる内容だったということ。とはいえ自殺はしていないしむしろ外見上内田裕也のような老け方をしていたのでクールである。第一句集の題名が単独登攀者、雪山の句が多く、夫人のスキーエピソードからもわかるように、同じ水分とはいえ雪山と死を連関させており、身内の死がその思念をなぞり、凍った目玉はやや虚ろに現実を捉えている。
珈琲熱くちまたの夏は生きてたのし
夕闇は波なして来ぬ雪に佇つ
棒になる脚を脳天に感じてゐる
凍ったと言おうか、それとも麻痺と言おうか。山が雪に覆われることを雪に閉ざされるとも表現するように確かに閉ざされた雰囲気は持っているものの、わずかに内側へのベクトルと感じるのだ。内へと閉ざされ、外へと麻痺している。現代の感覚に麻痺することでじぶんに残されたものや感覚を守っているかのようだ。内側へのぬくさに目を開きながら、その目で見つめる現実はやはり温度差があり虚ろなのだ。こういったやり方で内側に生命の火をともしつつ外側と現実を死で接着している。楽しい一人旅というものもそういった感情に支えられてはいないだろうか。あくまで荒涼とした知らない土地で、人間のコミュニティに飛び込み、人間という雪で閉ざしてしまおうというのだ。
エリカ香る嵐呼ぶ雲は我をも喚ばう
古き船出君よ歌へヴァイキングの古謡を
運河野を焼きて水鳥の中に棲む
古家榧夫は一人旅を愛したという。しかしそれは孤独を愛したのではない。孤独の外側にある荒涼とした欠落を愛したのだ。それが一般的には死と呼ばれていただけの話だ。
この文書は以下の文書グループに登録されています。
川柳が好きだから俳句を読んでいる