デフレ不況時代の二大スター
小川 葉

 
 
今あらためて、デフレ不況時代を振り返ってみた時、二人のスターが記憶に残っている。

イチローと佐藤可士和。二人はホームランバッター的なスターではなく、内野安打的な表現に、価値を上手に付加したプレイヤー、クリエイターである。

双方とも、野球というものに対して、広告クリエイティブというものに対して、最も効率的に数や効率を上げるにはどうしたらいいかを、沈着冷静に考え、そのやり方を極めた二人である。

ホームランは打たなくていい。代わりに、自分が持っている力で出来ることを、野球や広告クリエイティブの常識に合わせるのではなく、むしろ自分の方に合わせた。

これが今思えば、デフレ不況時代の生き方そのものではなかったのかと思うのである。

一方、松井という打者もメジャーで活躍していた。しかし、イチローほど印象に残っていない。実績としてイチローとさほど変わりないはずである。しかし決定的に違ったのは、精神論や、人間性を軸にした、プロモーションの仕方が、イチローの方が上手だったということである。

佐藤可士和も多くの本を出している。精神論や人間性を軸にした類のものが多く見受けられる。実績は内野安打でも、内野安打だからこそ可能になる、数と実績の確立、それまで価値のないものに、いかに価値を見出すか、与えるか、それも最小限の力で、出来るだけ早く、伝える方法は何なのかを、その哲学において完成させたのである。

もし今が、長島や王の時代だったなら、おそらくイチローは、とにかく塁に出て、盗塁して、そうして満を待して、王がホームランを打つ、逆転サヨナラ、という物語における、単なる脇役だったのかもしれないのだ。

その立ち位置を、時代を上手に読み取って、逆転させたのがイチローで、佐藤可士和のデザインだと言えるのである。

ホームランを打つための、予算(力)はない。そこを逆手に取って、だからこそ出来ること、そこに価値を見出し、ホームラン以上の対価を得ること。

それがデフレ不況時代のスターになるための、条件だったのではないだろうか。実際、イチローも、佐藤可士和も、打撃より守備能力が異常に優れている。

そんなイチローも四十歳を越え、佐藤可士和のデザインも、マンネリ化している今、これからのプレイヤー、クリエイターは、どこへ向かうべきなのだろう。

再び、力あるものが一世を風靡するする時代が来るのか。いや、しかし、そうなるにはまだ時期尚早な気がする。

おそらく、これからしばらくは、力主義でもなく、効率主義でもない、プレイや、クリエイティブを楽しむ時代が来るだろう。そうしてまた、過去の時代の流れがそうであったように、再び力を競う段階が訪れることだろう。それからまた、効率を追求していく時代が訪れて…

そのように、未来は、時代は繰り返されていくのだろう。

時代は変わる。スターになるのは、あなたかもしれない。



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http://www.fashionsnap.com/news/2013-03-05/gu-new-logo/
 
 


散文(批評随筆小説等) デフレ不況時代の二大スター Copyright 小川 葉 2013-03-06 00:05:30
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