異邦人日記から
動坂昇
この街では(あるいは「この街でも」と言うべきか)、在留中国人に対する差別がある。それは在留日本人に対する差別よりも深刻であるようにぼくには思われる。
そして残念ながら、少なくともぼくの視野の中では、在留中国人に対する差別をもっとも恥じずに公然と再生産しているのは、在留日本人の一部だ。こうしたひとびとは、たいてい、街の社会のなかで小さな一定の地位を得かけている。この過程で、街の社会に溶け込むために、街の大部分で共有されている規範意識を、過剰なほど自分自身に植えつけてしまっている。そしてその規範意識のなかに、在留中国人に対する差別が含まれている。
彼らの再生産の主要因は、ぼくとしては「呼びかけ」だと思う。
この街では、在留中国人でも在留日本人でもないひとびとは、相手がそのうちどちらなのかわからないとき、まず中国人と見なしたうえで相手に呼びかける。この呼びかけは、単純な確率論から導き出される回答だ。というのは、ここでは中国人の総数に対し日本人の総数が圧倒的に少ないからだ。
在留中国人に対する差別的発言を行う一部の在留日本人は、たいてい、この混同をひどく忌み嫌っている。ここでそれなりに努力して立場をえつつある一部の在留日本人は、差別される対象である在留中国人と同一視されたくないので、差別する主体にまわってしまう、というわけだ。
これは――以前、とあるロンドン在住のアナリストが、ロンドン暴動時に、(彼女自身が在留外国人であるにも拘わらず、)在留外国人に対する差別的発言を公然とツイートしまくっていたのを見たが、あの例によく似ている。