片輪の夢(散文詩)
水瀬游

 夢の底は平らである。足元はアスファルトのように冷え切った灰色で、硝子のようにツルツルとしている。
 夢の底は暗闇である。たった一本の街灯が放つ白く、おぼろげな光のみが頼りだ。
 夢の底は広大である。街灯が照らすのはごくわずかな範囲のみで、あとは夜より暗い密室のような闇がどこまでも広がっている。
 街灯の下には少女がいる。胸元まで真っ直ぐ伸び、藍のかかった黒髪は美しい。
 少女ははだかである。黒髪とは対照的に白く薄い肌は、全身の血管を浮き出そうなほどにはっきりと赤く透かし、美しいというよりは、おぞましい、恐ろしいと言った表現がよく似合った。
 少女には脚がない。脚が生えているはずの場所には、まるで車椅子のそれのような、平たく大きな車輪が付いている。それも右側だけ。必然、少女は横倒しとなっていた。車輪は古めかしく、所々が赤く錆びている。
「……ごめんね」
 彼女の口から初めて投げかけられたのは、謝罪の言葉であった。その声は囁くようで、それでいてこの広い暗闇によく通った。
「それ、付けてもらえる?」
 彼女のそばにもう片方の車輪が落ちている。彼女は遠くを見ているとも、床を見ているともつかない虚ろな目をして、だらりと身体を投げ出したまま腕だけで車輪を指差した。自分は車輪を拾い、それを彼女にはめ込んでやった。ずぶり、と感触が伝わる。痛むのか、彼女は顔を歪め、ひっ、と小さく声をあげた。
 見ると、車輪は左右で大きさが違った。左側が少し小さく、不格好だ。起き上がり、僅かに左に傾いた彼女が、こちらを見下ろしながら言う。
「さ、行きましょう?」
 少女は長い腕で自ら車輪を回し、進み始めた。
 ぎしぎし。ぎしぎし。ぎしぎし。
 自分は少女について行く。やがて海に出るまで。


自由詩 片輪の夢(散文詩) Copyright 水瀬游 2013-02-28 23:02:13
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