蹂躙
ドクダミ五十号
現代に於けるcrusadeは歴史の繰り返しなのだ
エルサレムを「平和の町」とする為に流された血は
無駄に大地に吸い込まれ「シャローム」は偽りと告げる
偽りの平和の達成を目論んで
平和の町は只の「道」への通過点としての役目を重要する
そして殺戮は成される
無辜の命を轢き潰し
帝国はかつての滅びを手本とはしない
兵士は信じる前に報われる事を欲し
罪の重さに盲目であろうとする
勇ましいとは「諌められる存在」と捻ってみる事も無い
あまりに不細工な国旗はためく下に十字を切りつつ
くるせーだーずよ歴史の勉強はしたかい?
道は一箇所に続くと本気で信じているのかい?
道は「遺跡」と成り果てて醜い轍が残るのを見たかい?
「そんな事知らねーよ”シット!”かあちゃんのおっぱいでも吸ってな!!」
考える機会も与えらぬか
あるいは完全に脳みそをいじくられ
「志願」した若者は痛みと歴史と強者の理論によって
戦場に赴く
一発が己の価値以上の兵器と弾薬を消費する為に
現代のクルセードとは
過去の愚かを容認し
更なる愚かへと高らかなラッパの響きに連れて進む
戦場に赴く事の無い人々は
十字を切って己の安泰を祈る
「神がお救い下さる」と
所詮
選民思想に侵された信仰なのだ
隣人を愛するより殴り倒せの野蛮を根本に置いて
神は居ないし
友は去る
どこに救いがあるだろうか
そもエルサレムを奪回すれば
「聖地」は確保され
兄弟と言って良い隣人を殺傷する必要は無い
「バイブル」に兄弟であると書かれているのだから
なるほど兄弟殺しは聖書に書かれているな
神の御名に於いてなされたと
酷い矛盾を孕みながら
今日も今的十字軍は何の疑いもせず十字を切りながら
「人殺し」を「正義」と信じて行なっている
「蹂躙」とはこれを言うのではなかろうか