アボジ
はらだよしひろ
時は風を越えて
嘶く鳥の藻屑を溶かす
はじめて母が「アボジ」「オモニ」と言った今日
はじめて母が自分の言葉に朝鮮を滲ませた
思えば母の話す言葉に朝鮮語はなく
日本の中で生きてきた自分をどこかに溶かしていたことを
水は流れるままに
山は崩れるままに
ただ在って ただ日々を過ごして
「必死で生きてきたんだ」とさえ
いえない沈黙の中で
日本を生き
昔の家族の群像を
記憶のどこかに留めては
そこで交わされていた
言葉をどこかに捨ててきた今までを
涙した今日
朝鮮語で母を「オモニ」と呼ぶことを知った時
僕は母をオモニと呼びたくて呼びたくて
幾度もオモニオモニと心の中で呼んだけれども
口に出して呼ぶことは出来なかった
母さん 母さんはやっぱり父と結婚する前の生活の中で
自分の親を「アボジ」「オモニ」と呼んでいたんだね
今まで一度たりとも母の口から出なかった朝鮮語
韓国語じゃない
朝鮮語なんだ
誰にも母が言った「アボジ」を
韓国語だと言わせるものか
日本人の薄っぺらい韓国の印象で
母の「オモニ」を韓国語だと言わせるものか
煌めく 光が ちらばって
木々 緑の中を 空へ伸びる
トン トン トンタクタッ
トン トクン トンタクタッ
聞こえる トン トン トン トンタクタッ
チャンゴが叩くよ 叩くよ 踊ろ
むかし、自分らの国を朝鮮と言っていたんだ
わたし今でもあこを朝鮮だと思うとる
韓国?確かにあこは韓国やし、わたしの先祖の故郷も韓国やけど、なんか口にするのがぎこちない
やっぱ朝鮮と呼ぶのがええんや
聞こえる 聞こえる 聞こえるよ
細波がうねってしもうて、いつの間にか帰れんようになってしもうたなあ
で、それからずっと日本しとったから
朝鮮語 口にするのもしんどくなってん
悲しくなってん
思い出したくなかってん
あかんなあ 朝鮮人の血ぃ流れてるの隠したらあかん
堂々とせなあかんとあんたらにいうてきたのは わたしなのに
いまになってようやくよ 「アボジ」とあんたのまえで言えたのは
日本人のおとちゃんと結婚して 日本人なって
そしたら見事にわたしから朝鮮消えてしもうてた
けどな後悔してへん いまでもおとちゃん好きやし
おとちゃんじゃなければ わたし幸せになれへんかってん
そういう運命やったんよ
ただなあんたらの前でもわたし
おじいちゃんおばあちゃんのこと
「アボジ」「オモニ」言わずに
「お父さん」「お母さん」言うてきたやろ
確かにな わたしはおとちゃんとの結婚に反対されて
駆け落ち同然だった
だからといって何も「アボジ」「オモニ」を
「お父さん」「お母さん」と言い換える必要なんかなかったんや
だから死に目にも会えんかったのかもしれへんとこのごろ思うようになってん
息が白む
幾年が過ぎて
笑うときを刻むのか
重い口を
はくはくさせては
記憶がただの息となって
重ねて 重ねては
消えて 消えないもの
とくとくと流れて