次に、キミに会えたらその時は。
元親 ミッド

ふと気がつけば、僕はいつの間にか日常を、

単調で、退屈なことの繰り返しのように思っていたよ。



朝起きて、仕事をし、終われば帰って寝て・・・

ただその繰り返し、というふうに。



そのくせ、ちょっとした変化やイレギュラーがあったりすると

それを、わずらわしいとさえ思ってしまうこともあったんだ。



でもね、そうやって日常をなだらかにするればするほど

その半面で、日常ってやつを、退屈にしてしまっていたのが、

実は、自分自身だったって事に気がついてしまったんだ。



いったいいつから僕は、そんな風に、

日常をぞんざいに扱うようになってしまったんだろう。



子供のころには、見るモノ、聞くモノ、

そのすべてが、あんなに新鮮で、驚きで、

キラキラとしていたはずなのに。



いつから慣れ切ってしまって、

いつから油断して、

いつから見ないようになっていて

そうしてどれほどの日常を、

無駄にしてしまってきたんだろう。



よくよく世界を見てみれば

どれもこれも、そのすべてに

感動が満ち溢れているというのに。



空に雲を追ったのは、いつの日だったか。

闇夜に星座とかくれんぼしたのは、いつの日だったか。

雨上がり、濡れた大地の香りをかいだのはいつの日だったか。

丘の上、草の匂いを吸って大の字になったのはいつの日だったか。

潮風と向き合って、水平線に溶ける夕陽を見たのは、いつの日だったか。



そして

キミとゆっくりしゃべったのは、いつの日だったかな。



退屈な日常を、作り出すことについては

天才的な才能なんか発揮しなくてもいい。



本当は、そこかしこに転がっている

つまらない、たわいもないそんな小さな幸せを

砂浜に探す、丸くなったガラス片のように

丁寧に拾っていくこと、それが大事なことなんだ。



次に、キミに会えたらその時は、

たくさん、たくさん話をしよう。

つまらない、たわいもないそんな小さな笑い話を。


自由詩 次に、キミに会えたらその時は。 Copyright 元親 ミッド 2013-02-14 10:33:05
notebook Home 戻る