僕が思う現代詩と合唱の関係について(3)
(1)(2)は僕がこの文章を書こうと思うようになった動機について書いた。
そして、今回からいよいよ「関係」の部分について言及していこうと思う。
だが、関係といっても沢山あるので、まずはある一点のポイントに従って考えを広げて行き
たいと思う。そのポイントとは、ズバリ「偏見」だ。
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(1)では何の断りも入れていなかったのでここで明言しておくと、日本語の合唱曲の多く
は、日本を代表する詩人達の「詩」を用いて作られるパターンが実は多かったりする。
勿論「中学校のクラス合唱で歌う曲」のように男声1パート女声二パートの曲やj-popの
曲を編曲した物も多いけれど。(最近はこっちの方が売れるからねー)
だが、多くの人は合唱曲=全部後者の方を想像するのである。
これは実際僕が身を持って経験している事実である。なぜなら、今高校の混声合唱団は男
声を確保するのが難しいという現実がそのことをまんま指しているからである。
彼ら(特に男!)にとって「合唱曲=全部後者の方」=「ダサイ」のだ。
「いや、合唱はちょっと…いいです」
僕は新入生の呼び込みで何度この言葉を言われたか分からない。そして、勧誘した後後ろ
でこそこそと「合唱ってなんかキモイよね」と言われるのである。実際聞くに堪えないこ
とも何回か言われたことがある。
これを、僕は合唱に対する「偏見」と呼んでいる。
だが、これは別に合唱だけに起こる問題ではない。どんなスポーツだろうと、どんな芸術
だろうと、どんな社会にも確かに偏見は存在する。例えは挙げるまでもない。誰だって一
度は経験したことがあるはずだ。「ええーこれって何々じゃないの?」ということが。
そう、偏見があること自体は別に何の問題ではないのである。
肝心なのは、その偏見の「振り払い方」だ。
その点、合唱というものは偏見振り払うことが非常に難しい。
なぜなら、実際僕も、合唱部の新入生歓迎コンサートまではそう思っていた。
という経験があるからである。
例えば中学二年生のとき歌った合唱コンクールの曲の歌詞がこれだ。
「こころのなかにきらーめいて、いつまでも、わすれないーー」
正直に言ってしまえば、歌っている最中なんだか残念な感じになったことを
覚えている。他の人はどうだったかはよく覚えていないが少なくとも僕はこ
う思っていた。
だったら中三の時にコンクールで歌ったアンジェラ・アキの「手紙」やその当時嵌
っていたスキマスイッチの「ガラナ」の歌詞の方が余程スタイリッシュではないか
、と。
実際当時の僕の考えと同じ人は多いのではないだろうか。
j-popの歌詞に共感を覚えている人なら僕の周りに幾らでも存在する。
カラオケに行けば絶対だれかが「○○の歌詞っていいよね」「うんうん」
は一度は言うし、アマゾンのCDのレビューなんかみても、「歌詞がいい」
系のコメントを書く人は大勢いる。
これが合唱の詩となると、なぜこんなにもへぼくなるのか。
僕は中学校の音楽の教科書に文句が言いたくてしょうが無かった。
「もっとましな曲載せろ、つまんねぇ」ってね。
今思うととんだ馬鹿な考えであるが、当時はそう思っていたのである。
ところがどっこい、僕が初めてコンサートで聴いた本格的な合唱曲の歌詩が、これだ
「私が歌う理由」谷川俊太郎詩 三善晃作曲
http://www.dailymotion.com/video/xawma9_yyyyyy-yyyyyyyyyyy_music#.URjVE1LZ3Sg
その冒頭の部分を少しだけ引用させて頂くと
私が歌うわけは
いっぴきの仔猫
ずぶぬれで死んでゆく
いっぴきの仔猫
この詩を初めて聴いたとき、全身がぞわっとするのを感じた。
なんだこの詩は?なんだこの感覚は?である。
曲を聴けば分かると思うが、その詩に対する曲もまた
それに答えるかの如く熱量を発していた。
三十何人かの先輩達が弾き出す詩とハーモニーの
プレッシャーが「生」でガンガン飛んでくるのだからたまったものではない。
そして僕はこんな体験をしてしまったら「合唱」の概念を変えざるをえなかった。
これが、僕の合唱に対する「偏見」が消えた瞬間までのおおまかな流れだ。
だが、僕と同じこんな体験をすることができる人は、そうはいないだろう。
僕の入った学校に偶々混声合唱団がありその新入生歓迎コンサートで偶々歌われた曲
に感動したからこの偏見が無くなったのであって、これらのことが無かったら、
僕は将棋部か文学部に入って「ああ、合唱ねアハハハ」になっていたに違いないのだ。
そして、これと同じ現象が「現代詩」でも起きているのである。
区切りがいいので今回はここまで
*次回は現代詩へ起きている事態に合唱がどうからんでくるのか
書いてみようと思います。