僕が思う現代詩と合唱の関係について (1)
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僕が思う現代詩と合唱の関係について (1)
僕は文章を書くのが苦手なので、練習の意味も込めて、少しだけ文章を書いてみることにする。(あ、最近詩しか書いていないので、なんとなく書いてみたくなった、という部分も含めて)
さて、僕がこの現代詩フォーラム、というかネット上における「現代詩発表の場」を初めて見つけてから今日に至るまで早数ヶ月も経った。
その間に、僕は様々な詩と出会い、その中で色々思ったことがあった。
それらの事について、これからつらつらと書き殴っていこうと思う。
だが、その本題に入る前に僕が現代詩と出会うきっかけとなった「僕と合唱との出会い」から書き始めることにする。
僕は(そこまでじゃないが)合唱マニアで、しかも特に現代邦人合唱曲のマニアである。
合唱部の新入生歓迎コンサートで谷川俊太郎詩、三善晃作曲の「わたしが歌う理由は」に感銘を受け、高校に入学して初めて合唱、いや「音楽そのもの」を始めた僕は、歌を歌っていく内に、作曲家が合唱曲を作り出す、その力の根源である「詩」に魅かれるようになっていった。
合唱曲、というのは「音」を極めることも大事であるが「詩」の解釈をすることも大事である。なにせ、作曲家がその詩から受けたインスピレーションを元にしてその曲を作るのであるから、当然である。だが、その解釈をしようにも現代詩に対して素人である高校生だけでは、中々難しい所が多々あった。
特に「父の唄」という谷川俊太郎詩高嶋みどり作曲の解釈は五十人近い合唱部のメンバーの中で割れに割れたし「ティオの夜の旅」という曲では、作曲家が解釈するのを放棄したことを楽譜にさりげなく書いてしまう程の曲だったから、僕たちもよくわかんないままに曲を歌ったのを記憶している。(まあその曲&詩自体皆大好きなのだが…好きであるが故に解釈が分からないことにある意味苦痛を感じていたのである)
だからこそ余計に、詩のことが知りたくて知りたくてたまらないようになった。
その結果、僕の愛読書は国語便覧になり、合唱曲に使われた詩人さんの名前を
見つけるたびにきゃっきゃきゃっきゃしていた。
だが、そんなある日のこと。僕はふと疑問に思ったのだ。
どうして、最近の合唱曲には、国語便覧に載るような(こう言っては何ですけれども)故人の詩、または年配の方々の詩を用いることが多いのか、と。
そうなのである。実際、現代邦人合唱曲に使われる詩人(使われる、という言い方はなんだか詩の事を下に見ているような言い方だが、僕は決してそう思っていないことをここで明記しておく。なぜなら、合唱曲は「詩」がないと作れないのだから。そんなこと言える訳が無いし、あってはならないことなのだ。)の多くが谷川州太郎氏の作品ばかりなのだ。氏の詩集が出るたびに、同じ詩が様々な著名な作曲家からはたまた新人の作曲家に至るまで何度も何度も使われているのである。(実際家の合唱部にある六割程度の合唱曲が氏の作品であり、残りの曲も木島始氏などや草野心平諸氏の詩作品ばかりだ)
そう、逆に国語便覧に載っている作曲家が詩多く使われることをウラに返せば、最近の「詩」は合唱曲としてあまり用いられていない、という現状を物語っている。
昔はそうではなかった。昔の作曲家達は、その時代に生きる詩人達の作品を多く手に掛け、数々の名曲を作り、人々を感動の渦に巻き込んできた。(無論谷川氏もその中に含まれる)だが、今は、そうではないのだろうか…
これが、僕がネット上で詩を探し始めた、理由の一つである。
なぜ、最近の現代詩が作曲されないのか、その疑問を晴らすために。
そして出会ったのが、いくつもの詩投稿サイト、そして僕が今まで見てきた「現代詩」のイメージを払拭する程の、熱い何かを持ったまさに今を生きる人たちが書き上げたまさに「真の現代詩」の姿であった。
区切りがいいので今回はここまで、