砂浜の男
村田 活彦

  舞台中央に椅子がひとつある
  男がひとりすわっている
  男は語りはじめる


おまえさん牛は好きか
そう、おまえだ
牛は好きかと聞いているんだ
牛はすばらしいぞ
何しろ奴ら
全身牛肉でできている

おまえは何でできている
そうおまえ
知っているか
人間は言葉でできている
だから煮ても焼いても食えやしない


どうだこの海岸線
噓みたいに白い砂浜だろう
寄せて返す波
いちどだって同じ音はない
この渚でおれは手紙を書くんだ
書けなかった手紙を書くんだ

もう何年も前
おれの郵便受けに毎週
あの男から手紙が届いた
達筆すぎる文字
タゴールや宮澤賢治の引用
読みにくくてわかりにくかった
おれは
いちども返事を書かなかった

「あなたの言葉は難解だ」
面と向かってそう言ったことがある
「そうか、ナンカイか」
やつは笑った
「ならばこの手紙は、
南海の島から流れ寄る椰子の実だな。
たどり着くかもわからないまま漂う
椰子の実みたいなものだな」

それから何通も手紙は届いたが
やっぱり返事を出さずにいるうちに
いつのまにか途絶えてしまった


何となくうしろめたくなって
ようやくペンをとった
「拝啓、お元気ですか」 
でもその先を続けることができなかった
言葉の使い方がわからない 
言葉がそっぽを向いて言うことを聞いてくれない
でもそれは言葉がおれを裏切ったんじゃない
おれが言葉を裏切ったのだ

美しい花をみて美しいと口にしてきたか
愛するひとに愛していると伝えてきたか
髪の毛から指先まで自分の細胞残らず伝えたいと
真剣になったことがあったのか
そう考えると背中が冷え冷えとした


おれはだんだんあの男に似てくる 
嫌なところばかり似てくる
伝えたいことをろくに伝えられず
しわを刻み入れ歯になる

ひとつわかったことがある
おれは言葉が欲しかったんじゃない
言葉になりたかったんだ 

ひとが死んでも言葉は生き残る
かたちを変え伝わっていく
唇から唇へ
唇からペンへ
ペンから本へ
本からまた唇へ
時代を越えて生きる言葉がうらやましかったのだ
人類は言葉に憧れ続けてここまでやってきた 
いびつでまばゆい進化をとげてきた

だから書かなくちゃいけない 
手紙を書かなくちゃいけない
わかっている
おれが伝えたい相手はもう
とっくにこの世にいない
遭難した船の甲板に刻まれた最後の祈り
空き缶やポリ容器の色あせた文字
届かなかった言葉が波打ち際でぶざまに転がっている
噓みたいに白い砂浜だろう 
この砂は人魚の骨だ
言葉をなくした人魚の骨が積もったのだ 
書いたとたん波がさらう
それでも伝えるんだ
何しろ
人間は言葉でできている


  男は黙り込む
  やがてペンをとって手紙を書きはじめる


拝啓、お元気ですか




自由詩 砂浜の男 Copyright 村田 活彦 2013-01-23 07:45:52
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