あずきの恋人 (連載⑩)
たま

(わたしは猫になって、イチローに会いに行ったの)

 
 きょうの午後、鈴木さんに出会った公園にようやくたどり着いた。
 この公園のどこかに、イチローがいるはずだけれど、わたしの目に猫の影は映らなかった。青い外灯の灯りの下では、コガネムシが二匹、ぶんぶん、羽根を鳴らして飛んでいる。
 イチロー……。どこにいるの? ねぇ、わたしよ……。
 あかるい夜空に、星がひとつ流れた。
「ぼくはここにいるよ。」
 え……、どこ?
 ベンチのうしろのフェンスの際に、スチール製のおおきな物置があった。イチローはその屋根のうえにいて、すばやく地面に飛びおりると、ふたたび、ジャンプしてベンチの背もたれのうえに、つんっと、背すじをのばしてすわった。
「やぁ、あずきさん、元気にしてましたか?」
「……、外山先生!」
 それは、まちがいなく外山先生の声だった。
 あ……、やっと、会えた。
「あずきさん、そんなとこにいないで、ベンチにあがりなさい。」
 うん……。
 ベンチにあがると、外山先生も背もたれからおりてきて、ふたりならんで腰かけたの。なんだかうれしくて、わたしのしっぽがだらしなく動いていた。
「ねぇ、あずきさん、絵本は進んでますか?」
「ううん、ちっとも……。」
「うん、そうだね、むずかしいよね。じゃあ、なにかヒントをあげようかな……。」
 う、うん……。
「えーっと、なにがいいかなぁ……。あ、そうそう、イチローの恋人はもう、みつかったのかな?」
「うん……、鈴木さんに聞きました。おかあさんだって……。」
「あ、そうなんだぁ。じゃあ、絵本教室のことも聞いたんですね?」
 うん……。外山先生のことも……。

「あずきさん……、ごめんね。ぼくのわがままで、あずきさんと、おかあさんにいっぱいめいわくをかけてしまって、ほんとうに、申し訳ないことをしちゃった。なんだか、恥ずかしいね。もう、あずきさんとは、こうしてお話しすることはないと思っていたから……。」
 わたしも、もう会えないと思ってたの……。
「でもさ……、あずきさんまで猫になっちゃったから、ぼくはびっくりしたよ。あずきさんって、ほんとにやさしくて、まっすぐなひとなんですね。」
「いいえ……、そんなことないです。鈴木さんに魔法をかけてもらったのは、外山先生にもういちど、会いたかったからです。わたし……、外山先生にお願いがあるの……。」
「ん、なんですか……。」
 わたしは勇気をだして、じぶんの思いを伝えなければいけないと思った。
「あの……、もういちど……、もういちど人間にもどってくれませんか……。」
「……。」
「だめですか?」
「う……ん、あずきさんには、ぼくの気持ちが理解できないと思うけど、ぼくはいまのままが好きなんですよ。ほら、猫って、気ままで、自由に暮らすことができるから……。」
 そんなの、うそだ……。
「じゃあ、外山先生はいまのじぶんが好きなんですか?」
「……、どうして?」
「わたし、外山先生はさみしいだけなんだと思います。」
「え……。」
「猫って、ひとりが好きだから、どんなにさみしくても、がまんできるのだと思います。でも、それは、じぶんを愛したことにはならないと思うし、わたしはじぶんが猫になったら、もう、じぶんのことは愛せないと思う……。」
「……。」
「たぶん、わたし、猫になっちゃったから……、そんな気がするの。」
「うん……、あずきさんは、おとなになりましたね。」
「いいえ、わたし……、『あずきさんは、あずきさんを愛していますか……。』って、絵本教室で、外山先生に聞かれたことを思いだしたのです。じぶんのことを好きになるって、とてもたいせつなことなんだって、外山先生は言いました。」
「あ、そうだったね……。」
「外山先生……、わたし、ひとりぼっちだったら、じぶんのことを愛せないと思います……。」
「……。」
「おかあさんや、おとうさんや、おばあちゃんがいて、たくさんじゃなくても、ともだちもいて、だから、わたしは、じぶんのことを愛せるのかもしれないって、そんな気がします……。ね……、わたし、まちがってますか?」
 外山先生はあかるい夜空をみあげていた。またひとつ、星が流れた。

「あずきさん、ぼくも、そう思います。まちがってなんかいません。あずきさんは、あずきさんを信じて、いまのまま、まっすぐ生きてください。」
 え、じゃあ、外山先生はどうなの……?
「ぼくはもう、人間にもどることはできません。もし、ぼくがいまもどったら、また、くるしいだけ……。三年まえに、鈴木さんがいなかったら、ぼくは死んでいました。あのときと、いまのくるしみはちがっても、また、死んでしまいたいと思うでしょう……。だから、ぼくはもう、もどれないと覚悟したのです。」
 うそ……!
「くるしいって……、おかあさんのこと?」
「うん……、そうかもしれないね。ぼくはすこしはやく、おとなになりすぎたのかもしれない。もし、中学生のままだったら、おかあさんに恋をすることはなかったと思うし、たとえ、恋をしたとしても、こんなにくるしくはなかったでしょう。あ……、でも、もうすこし猫でいたら、忘れちゃうかもしれない……、おかあさんのことはね。」
 外山先生はさみしそうに笑って、そう言った。
「え……、でも、それはだめ! だって、あした、鈴木さんは帰っちゃうの! そしたら、外山先生はもう、もどれなくなっちゃうって言ってたのよ、ねぇ……、お願いだから、いますぐ、人間にもどってほしいの……。」
「あずきさん、ありがとう……。あずきさんも、おかあさんもやさしいね。ぼくは、猫のままで生きていきます。鈴木さんがいなくなっても、あずきさんと、おかあさんがいます。だから、そんなに心配しなくても、ぼくはだいじょうぶですよ。」
 やだ! わたしはやだ……。
「わたし……、外山先生が大好きなんです。だから……。」

 あ……、言っちゃった。

「うん! あずきさん、それがいいかもしれない。」
 えっ? なによ、それって……?
「ほら、ヒントですよ。あずきさんは、あの絵本をいちばんにみせたいひとはだれですか?」
 いちばんにみせたいひと……?
「ええ、そうです。たぶん、あずきさんはそんなこと考えないで、絵本を描き始めたのだと思います。でも、それがだれだかわからないままだと、物語は進まなくなるのです。たとえば、そのだれかさんは、おかあさんだったり、おとうさんだったり、あずきさんのいちばん好きなひとだと思います。」
 わたしのいちばん好きなひと……、なの?
「うん、たぶんね。だから、そのひとに伝えたいことを物語にしたらどうかなって……。」
 うん……。
 外山先生はまた、わたしに魔法をかけようとしている。でも、わたしはもう、いちばん好きなひとがわかった。
 東の空にいつの間にか、オレンジ色した淡い月がでていた。

「あ……、もう、こんな時間だから、お家に帰りましょうか。」
 やだっ、そんなの、ずるい!
「外山先生……、わたしどうしても、もういちど会いたいの。このまま会えなくなったら、わたしも、くるしくてたまらなくなっちゃう……。わたし、まだこどもだけど、もうすこし、おとなになって、もういちど、外山先生に会いたい……。」
 そんなこと、夢かもしれない。でも、いまここで、わたしの気持ちを外山先生に伝えなければ、ほんとうに会えなくなってしまうような気がした。
「あずきさん、またいつか……、ぼくに会えるかもしれないよ。」
「え、ほんとうに……、いつ?」
「うーん、それは、ぼくにもわからないけど、そんなにとおくない……、未来に。」
 みらい……?
 じゃあ、わたしはもう、おとなになっているの……?
「うん、そうだね……。きっと、すてきなおとなになっていると思う。だから、ぼくも、もういちど、あずきさんに会いたいなって……、うそじゃないよ。」
 うん。うれしい……。
「さぁ、あずきさんちまでぼくが送るから、ね、帰りましょう。」
 う、うん……。
 未来って、どれぐらいとおいのだろうか。わたしはまだ十一歳、いくつになったら、おとなになれるのだろうか。あ、でも……、外山先生はどうやって、人間にもどるつもり?
「ねぇ、外山先生は、ほんとうに人間にもどれるの?」
「うん、生きていればね、かならず、未来はやってくるんだ。そしてね、きっと、いいことがあるんだよ。」
 きっと……、なの。
 だったら、わたしは未来を信じようと思った。いつか、きっと、外山先生に会える……。
 帰り道は、外山先生と仲良くならんであるいた。オレンジ色の月がとてもあかるくて、わたしのからだがすこし、かるくなった気がする。

 猫って、お月さまが好きなのかな。

                  つづく











散文(批評随筆小説等) あずきの恋人 (連載⑩) Copyright たま 2013-01-14 12:06:51
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