雪解け
ブライアン
お酒を飲んだ帰り道、女性が声をかけてきた。彼女はガールズバーの客引きだった。アルコールで火照った体でも、寒い夜だった。乾いた風が、冷たい空気を体にたたきつける。大通りを走る車の列が、街を歩く人の群れを眺めている。寒そうに、と助手席と運転席が話している。
声をかけてきた彼女は、太腿を露出させていた。身を縮め、手に持ったチラシをなんとか手渡そうとしているようだった。声をかけられ、ふと足を止める。彼女の顔を見る。美人ではない。付けまつ毛と目の周りを強調する化粧、金色に染めた髪。雑誌の中の人のようだった。彼女は、笑顔を作る。縮めていた体を伸ばし、もう一度優しく語りかける。さっきよりも高い声で。ゆっくりとした口調で、彼女はガールズバーへ誘う。
一九七〇年、日本は冷戦の影響でまだソヴィエト連邦とアメリカ合衆国に二分されていた。国道一一三号線は、国境だった。アメリカ合衆国側からは毎夜、音楽が流れてきた。彼女は一九七〇年の十二月に生まれた。その年はとても寒い夜だった。日本海側からは、冷えて湿った風が吹き、雪を降らせていた。風は突き刺すほど冷たかったが、強くはなかった。彼女の母は病院で十二時間、陣痛に耐えた。窓を鳴らす風の冷たさは気にならなかった。
彼女の両親は、アメリカ合衆国側の生まれだった。家がちょうどその境界線上付近にあったため、田畑を手放すか、家の敷地を手放すかしなければならなかった。彼女の両親は家を手放した。一九五〇年六月二十五日、彼女の両親は彼女の兄を連れて、アメリカ合衆国側の土地を二束三文で売り払い、ソヴィエト連邦側へ移住した。
慎ましく、平穏な日々を彼女の両親は願っていた。共産主義に希望を描いていた。彼女の両親は財産をすべて放棄した。彼女の父は、働かざる者食うべからず、と言った。昼は工場で働き、夜は母が収穫した野菜を加工していた。
一九五三年、スターリンが死去した後、フルシチョフはスターリン批判を行い、弾圧が緩められた。スターリンへの個人崇拝を批判したのだった。フルシチョフはスターリンを批判した。しかし、ソヴィエト連邦が変わることはなかった。一九五六年、ハンガリー動乱はソヴィエト連邦の圧倒的軍事力を持って、民衆を黙らせた。数千人規模の民衆が犠牲になり、二十五万人が難民となった。一九六七年のプラハの春も同じように軍事力で民衆を黙らせた。春は輝かしいものではなく、暗く湿った曇り空だった。
それでも、彼女の両親はソヴィエト連邦に期待を寄せた。資本主義は、自分さえよければいいなんて思想だからね、レーニンやフルシチョフと変わらないだろ、彼らがごまんといるアメリカ合衆国で暮らすなんて想像が出来ない、と父は言った。
手渡すチラシを見た。ドリンクの値段がかかれている。何かのサービスも付随していた。飲んできた酒が胃の中を巡っている。彼女は腕をつかむ。寒いし、中へ入ろう、と。頭が痛かった。大通りを横断するまでなんともなかった。寒い風が体に吹き付け、冷たい空気を感じているだけだった。通りには人の往来が激しかった。体に絡みつくように歩く男女や、大声を上げる男性のグループ、歌を歌うもの、寡黙に歩き続ける者もいた。
差し出した彼女の手を振り払うように、片手で制した。彼女の顔が歪んだ。繁華街へ抜ける小道へ視線を逸らす。客引きの男女が両脇に列をなしている。男性達は、スーツを着ていた。女性達は露出した服を着て、寒そうに凍えていた。彼女はもう一度声をかけた。制された手を認めようとしなかった。彼女は、その手が振り下ろされないのを確かめると、罵倒した。付き合わないなら、最初からはっきりしろよ、むっつりが、と彼女は聞こえるように言った。彼女の声が、耳に届く。働かざる者、食うべからずだよ、と彼女は言った。その声は怒りに満ちていた。
交差点付近に群れていた客引きたちは、彼女と言葉を交わす。二十四時間営業の書店の光が歩道に照らされている。頭上には高速道路があった。車が走り続けていた。大通りには、トラックがいくつも路肩に停められている。働かざる者、食うべからず、だ、と思った。彼女は煙草に火をつけ、ポケットに忍ばせていた懐炉を取り出すだろう。暖を取りながら、私たちマッチ売りの少女みたいだ、と思う。
一九六七年、ソヴィエト連邦側の住民は、アマチュア無線でチェコスロバキアの事件を知った。彼女の両親は深夜に今の明かりをつけ、ラジオから流れてくるニュースに目を瞑り、耳を傾けていた。彼女の兄がトイレに目が覚めたとき、父の悲壮な顔を幽霊だと勘違いして大騒ぎしたことがあった。その時父は、恐れる兄の表情を見て、幽霊のふりをして家の外へ飛び出したらしかった。高等学校を卒業するまで、兄は父の生霊がラジオを聞いていると信じていた。
彼女の故郷の家の西には大きな川が流れている。大戦後、国を隔てていたのが国道一一三号線だったが、近世以前の境界線はその川だった。それゆえ、ソヴィエト連邦領とはいえ、川を隔てた西側の地域には微妙な文化圏の違いがあった。メーデーの祝祭のとき、西側の地域では高玉芝居と称される、民間の芝居が催された。本来は収穫が終わった冬、娯楽として催されてきたものだった。技術の発達とともに高玉芝居は娯楽から文化芸能へ意味合いが変わり、五月祭に披露されるようになった。彼女の住んでいる地域にもかつては民衆の娯楽として、芝居が頻繁に催されてきた。
アメリカ合衆国側に属する地域は、かつて天領から上杉藩へ二度も支配下が変わった。倹約をよしとする上杉藩は、民衆の娯楽を封じた。かつて天領だった地域の民衆は憤怒し、上杉藩に反抗した。そのため、取り締まりはさらに強化された。
アメリカ合衆国側とソヴィエト連邦側の文化的つながりは強い。彼女の家は同国の西側よりも、他国の南側の方へのなじみが深いようだった。彼女の父は西側の地域のことをあまり語らなかったが、南側のアメリカ合衆国側の風習をよく話した。
ある年の五月、彼女の家族は高玉芝居を見に行った。父は高玉芝居を見ながら涙を流しているようだった。昔は、と彼は話し出した。昔は、父も友人たちと一緒に芝居をしていたと言った。今はアメリカ合衆国側にある公民館を借りて、長い冬の間、毎夜練習をして、練習が終わると酒を飲んで多くの話をした、と言った。冬は雪が積もるから、働きたくても働けなかったんだ、と父は言った。
高玉芝居を見終え、川に架かる橋を渡っていた。野鳥の群れが南側へ飛んでいくのが見えた。川の両岸には大きな堤防が作られている。曇った日だった。まだ、草木の葉が茂っていなかった。それでも、葉は河川敷を覆っていた。父は車を運転しながら、南側を見た。川は南北を貫いている。国境周辺には有刺鉄線が張られていた。ふと、川を覗き込むと、数人の若い男たちが、国境を越えようとしているのがわかった。彼女は視線を逸らした。北側に屹立する小高い山肌に目を移す。葉に淡い緑の色がつき始めていた。ところどころに、桜の花の色が残っていた。父はハンドルを握っていた。前を走る車のテールランプを凝視している。
彼女の手のひらにもみくちゃにされた懐炉がある。彼女は懐炉を手のひらで弄びながら、息を吐いた。息は白かった。彼女たちを照らす街の明かりに、彼女の息はすぐに消えた。無数の看板から光は放たれていた。
懐炉を露出した太腿へあてる。活性炭が彼女の太腿を温めていた。彼女は、目を細めて交差点の信号を見ていた。人の群れが交差点を渡っている。懐炉を後ろポケットへ入れると、彼女はチラシを握り、作り笑いをする。働かざるべきもの、食うべからずだ、と彼女は言った。隣にいた男性は彼女の方を向いた。その通りだよ、と彼も言う。信号が点滅している。交差点を渡り終えた人の群れが、彼女たちのいる歩道へと歩いてくる。ガールズバーいかがですか、と彼女は声をかけるだろう。小さな声で。耳元でささやくように。
信号機の前で立ち往生している。深夜〇時少し前の交差点。人の群れが駅へ向かおうとしている。信号機の前へ人は集まってくる。車が視線を何度もさえぎった。トラックが数台横切って行く。これから市内の店へ納品に向かうのだろう。縦横に入り組んだ街の道を、ゆっくりとトラックは走る。ラジオからは一九七〇年代の音楽が流れてくる。一九七〇年代をトラックの運転手は生きていない。彼はハンドルをたたき、リズムを取っている。何度か同じラジオ番組で流された曲だった。ボーカルの男は今でも音楽活動を続けている。運転手は今の彼の歌は知らない。彼は口ずさむ。まっすぐに伸びる大阪の道、青く光る信号機はいくつも連なっている。アクセルを踏む力を強めたり、弱めたりしながら、前を走る車との車間距離を保っている。道の両側は消えかけた店の明かりで覆われていた。コンクリートのビルが、夜の暗闇から孤立したように聳えていた。光の消えたビルは恐れていた。道を走る車を見下ろし、おびえた表情を隠そうともしていない。いくつかの窓から光が漏れている。車はビルを無視して走る。ラジオは昔の曲を流したままだ。トラックは車の暖房を強めた。寒い夜だった。街を歩く人も寒さで身を縮めている。ビルから吹き降ろす風が、人々をさらに凍えさせる。ビルは人を脅した。一人にしないでくれ、と。真っ暗な夜に耐えられるような作りはしていない。ここは寒いし、息苦しい。一人にしないでくれ、と。
一九七七年、イギリスのロックバンドは小さなヒット曲をリリースした。国道一一三号線を走るトラックのラジオからDJが曲の背景を説明する。夜にふさわしい落ち着いた声だった。国道一一三号線は吹雪いていた。路肩に溜まった雪が次第に長距離トラックのタイヤを侵食し始めた。とても寒い夜だった。信号待ちをしていた一台の乗用車がスリップした。信号が再び赤に変わる。後続の車がクラクションを鳴らす。運転席から人が降りて、段ボールをタイヤの下に敷く。作業をする人の頭に雪が叩きつけられる。
次の曲は、とラジオのDJが言う。第二次世界大戦が終わると、世界は超大国に二分されていった。社会主義と資本主義は、各々、正義のイデオロギーを掲げる。一方は共産主義、一方は民主主義と言葉を変える。ドイツの首都ベルリンは浮き島のように東西ドイツに分断される。日本が統治していた朝鮮半島は北緯三八度線を境に南北に分断。ベトナムに限っては、社会主義と資本主義の代理戦争のようにして、北緯十七度を境に南北に分断する。
国道一一三号線の吹雪はますます激しくなった。信号ごとにスリップする車が多くなった。次第に渋滞が出来始めた。深夜〇時を回るころ、新潟と山形の県境辺りから山形県飯豊町付近まで車の列は連なった。寒い日だった。車に乗った人々は音楽ラジオから天気予報へと番組を変える。格式ばったアナウンサーの声が聞こえる。朝方には、−二十度に達するだろう、とアナウンサーは言った。
朝方、良く晴れた日だった。息を吐くと水蒸気が凍り、太陽に反射してきらきらと輝いた。国道一一三号線には車の長い列が出来ていた。雪の塊が車を侵食している。陽射しが、世界中を輝かしていた。雪かきをするため起きた住人が、国道一一三号線を眺める。ずいぶんと長い列が出来だな、と言った。朝のローカルのニュースによると、列は一〇〇キロを越したらしい。車内の一酸化炭素中毒で亡くなった人が二人いた。運転手が不在となった車が、路肩に打ち捨てられたまま、車はわずかに動き始めていた。
正午頃、車の渋滞は解消された。国道一一三号線を分断するものはなくなった。雪解けとともに、車のラジオも次々と天気予報から音楽番組へと変えられていった。お昼のDJが大きな声で曲を紹介している。ハート・ブレイク・ホテル。エルヴィス・プレスリーを一躍スターにした曲。“一人はいやだろ、死ぬほどいやだろ”
夜が明けて、もうすぐ夕方になろうとしている。車の中で一夜を過ごした長距離ドライバーたちは、打ち捨てられた車を横目で流す。救急車や消防車が停まっている。早く家へ帰ろう、と誰もが思っている。一人は嫌だ、死にそうなほど嫌だ。雪が彼らを襲い、国道一一三号線を境に南北に分断された。雪解けは思いのほか早かった。地元の人々は天気予報を確認する。また再び緊張状態へ陥るかもしれない。通り過ぎていくだけの運転手たちは、They’ll be so lonely, They’ll be so lonely they could die と歌う。