防波堤の軍国論
小川 葉
日本が軍隊を持つか否かの議論において、先進国の多くが軍隊を持っているのだから、日本も持つべきだ、という論があるのだが、それについて少し話しておきたい。
まずはじめに、日本は世界の防波堤である。中国にとっても、アメリカにとっても、その立地環境、立ち位置において、まるで双方の防波堤として存在している。
世界地図を見れば一目瞭然である。それがまずはじめに、日本国の立ち位置である。
そして、それを証明するかのように、中国と戦争したことがあるのも日本、アメリカと戦争したことがあるのも、唯一、日本だけなのである。
海に行くとよくわかるのだが、そこには防波堤がある。その防波堤のこちら側と、あちら側に、二つの世界があり、そこに多くの国が存在する。
その双方の世界にある、多くの国にとって、軍隊を持つことは、世界で生きるためにおいて、必要不可欠なのかもしれない。
しかし防波堤が、国として、否、軍国として、意思を持つということは、防波堤を境に、東と西に分断した上でバランスの取れている現代の世界において、不安定の一因になりかねない危惧がある。
実際、西洋と東洋の防波堤であるはずだった、日本国が意思を持った結果、かつての世界大戦がはじまった。
日本はそのような、微妙な立ち位置にあることを、現代も忘れてはならない。
だからこそ、何をされても、遺憾の意しか表すことのできない、世界でも稀有な立ち位置の、変な国なのである。
そうして、たとえ変だとしても、そこだけは、間違えてはならないと思う。私は海へ行き、防波堤を見ながら、この防波堤は、この国は、どのようにあるべきなのか考える。
実際の防波堤にも、資源はない。しかしそれは、ただのコンクリートの塊であるわけではなく、魚は獲れるし、土も悪くなく、作物もよく育つ。
そのような場所で、私たちは暮らしてきたし、これからも暮らしていく。
それが今や、世界平和の防波堤なのである。
今あらためて、世界地図を見て、実感していただきたい。
その立ち位置の、重要さと、役割の責任を。