あずきの恋人 (連載⑧)
たま
えっ……、
「どうして? どうして会えないの。」
「外山先生はね、また、猫にもどっちゃったんだよ……。」
猫に……?
えっ? なによ、それ……。
「鈴木さん! わたしね、すごく真剣なの! ほんとうに外山先生のこと知っているのだったら、ちゃんと話してください。おねがい……。」
わたしはまた、泣いちゃいそうだった。
となりの部屋にはちいさなタンスがあった。鈴木さんはタンスのまえにしゃがんで、いちばん下の引き出しから、なにか黒っぽいものをだしてきて、テーブルのうえにおいた。
「これをみてもまだ信用できないと思うけど、これはね、あの子の学生服なんだよ。」
あの子……って?
学生服はうすいビニールでつつまれていて、クリーニングにだしたままみたいだった。胸のポケットのところに、ちいさな名札がついていた。
『花山中学校 二年三組 外山』……。
えっ!
「鈴木さん、あの子って、外山先生のこと?」
「そうだよ。この学生服はね、あたしがあの子に会ったときに着ていたものなんだよ。もう、三年もまえのことだけどね、ちょうど、あたしが地球にやってきた日に、あの子に会ったんだよ……。」
三年まえ……って?
「え……、じゃあ、三年まえに外山先生と会ったときは、中学二年生だったの?」
「うん、そうだよ。」
「鈴木さん……、それはちょっと、おかしいと思います。このあいだ、おかあさんと聞いたんです。外山先生は、三十歳だって言ってたわよ。」
「あら、そうかい。三十歳ねぇ……、まぁ、そんなものかもしれないねぇ。」
「鈴木さん! そんなことないでしょう、三年まえに中学生だったひとが、どうしていま三十歳なの!」
わたしはすごく腹を立てていたの。
「あ、それはね……、三年まえにあたしがあの子に魔法をかけて、猫にしちゃったからなんだよ。猫や、犬はね、人間の四倍ぐらいの速さで歳をとるから、あの子がいま、人間にもどったら、三十歳ぐらいになっちゃうだろうね。」
あ……、それはわたしも知っていた。おばあちゃんに聞いたことあったから……、
「でも、どうして? どうして、外山先生を猫にしちゃったの?」
鈴木さんはしばらく、とおくをみていた。
「あの日はね、もうすぐ桜が咲くころだったけど、地球におりたばかりのあたしはさむくて凍えそうだったよ。あたしがね、地球にやって来たのは、大王さまの命令なんだけど、それはね、だれにも言えない悩みをかかえて、ひとりでつらい思いをしている地球のこどもたちの、いのちを救うこと……、あたしの魔法でね。」
おとなはだめなんですか……?
「あ、おとなはね、だめだよ。まだ未熟なんだよ。あたしはね。」
そうよね、鈴木さんってちょっと、頼りないから……。
ぐふっ……。
「あずきちゃん、あの子はね、マンションの五階から飛びおりて、死ぬつもりだったんだよ。だから、あたしはね、死ぬまえにいちど、猫になってみないかい……? って、あの子を助けるつもりで言ったんだよ。とても、つらいことがあったんだろうね。あたしにはなにも言わなかったけれど……。それで、あの子を猫にして、つらいことを忘れさせようとしたんだけど、猫になったあの子はね、もう、人間にもどるのはいやだって……、あたしは一週間ほどしたら、人間にもどすつもりでいたのにね。あたしはまだまだ、未熟な魔法使いなんだね……。」
わたしは何もかもわかった気がした……。
「鈴木さん……?」
「なんだい?」
「イチロー……、なの?」
「そうだよ。外山先生わね。」
「でも、どうして? 外山先生はもう、人間にはもどりたくなかったのでしょう?」
「あ……、それはね、あずきちゃんのおかあさんに恋をしたからだよ。」
えっ、おかあさんに……。
「そうだよ。それでね、どうしても、もういちどだけ人間にもどって、おかあさんと会いたいって言うから、あずきちゃんには申し訳なかったけど、絵本教室を計画して、あずきちゃんとおかあさんを誘ったんだよ。」
「じゃあ、あのチラシは……。」
「あたしだよ。電話にでたのも、あたし……。」
あ、そうだったのか……。
「ごめんね、あずきちゃん。あずきちゃんにまで、つらい思いをさせてしまって、あたしはほんとうにだめな魔法使いなんだよ。」
「ううん、そんなことないよ。あたし、外山先生に会えてうれしかったもん……。あ、でも、あたし、もういちど、外山先生に会いたかった……。ね、だめなの? 鈴木さん。」
「たぶんね……、あの子はもう、人間にはもどらないって……。あたしの言うことは聞いてくれないんだよ。それにね……、あたしはもう、ジュピターに帰らなきゃあいけないし……。」
「え……? 帰るって、どうして?」
「あたしはね、もうすぐ、魔法が使えなくなるんだよ。それでね、また、ジュピターに帰って修行をして、大王さまのつぎの命令を待つんだよ。」
ちょっと、まってよ!
そんなひどい魔法使いなんていないと思った。わたしはまだ、鈴木さんの話を信じる気になれなかった。
「いつ、帰るの?」
「あさっての夜だよ。ほんとはね、ことしの春に帰る予定だったんだけど、あの子をこのままにしておけなくてね……。」
「じゃあ、鈴木さんが帰ったら、外山先生はどうなるの?」
「……、イチローのままだよ……。」
「うそだぁ! そんなの、わたしはいやよ。ぜったいに、いや!」
わたしはやりきれなくて、くやしくて、また、涙がでてきちゃった。
鈴木さんは眼鏡をはずしてタオルで顔をぬぐうと、しょんぼりうなだれてしまった。わたしもどうしていいのかわからなくて、まぶしい窓の外を、ぼんやりみていた。
あ……、そうだ。
「ねぇ、鈴木さん……。」
「ん、なんだい?」
「わたしを、猫にしてちょうだい。」
「え……?」
「できるでしょう? わたしに魔法をかけて! わたし、猫になって、イチローと話がしたいの。」
「あずきちゃん……。」
「わたしを猫にしてくれたら、鈴木さんのことも信じられるし、イチローと、話もできるでしょう? ねぇ、おねがい! わたしを猫にしてちょうだい。」
鈴木さんは唖然としてしばらく考えこんでいた。
「あずきちゃん、ひとつだけあたしと約束してちょうだい。かならず、人間にもどるってね。あずきちゃんまで猫になっちゃったら、あたしはもう、ジュピターに帰れなくなるよ。」
「うん、約束する。わたしはだいじょうぶよ。」
「じゃあ……、ひと晩だけだよ。」
「うん。わかった。」
鈴木さんはまた、となりの部屋に行って、タンスの引き出しから紅い布袋をだしてきて、テーブルのうえにおいたの。
ゴトン……って、すこし、重そうな音がした。
紅い布袋のなかには、野球のボールぐらいのおおきさのガラス玉が、ふたつ入っていた。鈴木さんはガラス玉をひとつ手にすると、ていねいにタオルでくるんで、スーパーのレジ袋に入れた。
「手をだしてごらん。」
あ……、はい。
両手をそろえてテーブルのうえにさしだすと、鈴木さんはレジ袋をわたしの手のうえにのせた。
ちょっと、重い。
「これを持ってお帰り。今夜の十時に魔法をかけるから、あずきちゃんはじぶんの部屋で、このガラス玉をしっかりにぎりしめて、待っててちょうだい。あたしもこのガラス玉をにぎりしめて、あずきちゃんに魔法を送るからね。いいかい……、十時だよ。だれにもみつからないようにね。」
「うん……、あ、イチローは?」
「あの子は団地の公園で待たしておくから、あずきちゃんは猫になったら、こっそり、家からでておいで。」
「ん……、できるかなぁ。」
わたしはちょっと、不安になった……。
「だいじょうぶだよ。落ち着いてね、部屋の窓はすこしあけておくんだよ。でないと、家からでられないからね。」
「うん……。」
「じゃあ、もうお帰り……。」
うん……。
レジ袋に入ったガラス玉をしっかり手に持って、わたしは鈴木さんの家をでた。
「ただいま……。」
あかあさんはリビングの奥のキッチンで、夕飯の用意をしているみたいだった。わたしはスリッパもはかないで、こっそり、廊下をあるいて階段の手すりに手をかけた。
「あずきー、どうしたの、おそかったわね。」
あ、みつかった……。
「うん……、あのね、団地の公園で鈴木さんに会ったの、それで……。」
「へー、鈴木さんに? ご近所だったのね。」
「う、うん。」
「あら、なにもってるの?」
う、やばい……。
「あ、これ? これね、鈴木さんにもらったの。魔法使いのガラス玉だって……。」
「うふっ、そうなのぉ、鈴木さんっておもしろいひとねぇ。じゃあ、そのガラス玉、あずきの絵本に使えるわね。あ……、それで、どうだったの?」
「え? なに……。」
「なにって、外山先生ことでしょう。」
「あ、外山先生はね、もう、いないんだって……。」
「えっ、どういうこと?」
「ん……、出張なの。しばらく帰ってこないそうよ。」
「ふーん、そうなの……、お仕事があったのね。」
おとうさんもときどき、出張でいなくなるから、おかあさんはなんとなく信用してくれたみたい。
あ……、よかった。
わたしは二階の部屋にあがって、鈴木さんのガラス玉を手にとって、しばらくながめていた。どこかでみかけた夜店の、輪投げの景品みたいな、ただのガラス玉だった。
だいじょうぶかなぁ、なんだかニセモノみたいだけど……。
つづく