あずきの恋人 (連載⑦)
たま

 おかあさんが家に電話して、おばあちゃんが元気そうだったから、このまま買い物に行くことになった。動きはじめた車の窓ガラスをいっぱいにあけて、わたしは猫又木山文化会館の三階をみあげたの。
 あっ、だれかいる……、鈴木さん?
 たしかに、三階の廊下の窓にだれかがいて、こちらをみていたけれど、すぐに、わたしの視界からみえなくなった。


 絵本教室がおわってから、わたしはまいにち、スケッチ・ブックをひらいては絵本のつづきを考えていたけれど、外山先生が教えてくれた、イチローの恋人は、どうしてもみつからなかった。
 もちろん、わたしがイチローの恋人になってもいいけれど、それではなんだか、こどもっぽくなってしまう気がしていやだったの。
 夏休みも、あと数日でおわりだった。
 その日の午後も、リビングでスケッチ・ブックをひらいて、なんとなく猫又木山文化会館の絵を描いていた。
「ねぇ、あずきー。」
 いつものスーパーへ、買い物にでかけていたおかあさんが帰ってきた。
「なに……?」
「イチローさん、来なかったかしら?」
 えっ……、イチロー……、さん?
「んー、まだだよ。」
「あら、そうなの? きょうはおそいわねぇ……。」
 なによ、おかあさんったら、イチローさん……なんて、気持ちわるいんだからぁ……。そう言えばさいきん、イチローとおかあさんはすごく仲良くしている。
 あ……、ひょっとしたら……。
「ねぇ、あずき……。あなたまいにち絵本ばかり描いているけど、二学期の用意はもう、できてるの?」
「うん、だいじょうぶよ。心配ないって。」
 わたしは絵本のことで頭がいっぱいだった。ついこないだ、由美ちゃんと会ってスケッチ・ブックの絵をみせたら……、わっ、すごい。あずき、急におとなになったね……って。それで、夏休み中に絵本を完成させて、由美ちゃんにみせるね……って、約束したの。だから、ちょっと、焦って、頭のなかは絵本のことばかりだった。
「ねぇ、おかあさん……。」
「なに?」
「わたし、外山先生に会いたいんだけど……、もう、会えないかなぁ。」
「あら、どうして?」
「ん……、絵本、ちっともすすまないから、外山先生に会ってもういちど、みてほしいの。」
 でも、外山先生のことはなにも知らないままだった。
「そうねぇ……、じゃあ、文化会館に電話して、外山先生の連絡先をおしえてもらったらどう?」
 あ、そっか!
 わたしはあわてて絵本教室のチラシを探したの。チラシは絵の具箱のなかに、折りたたんで入れていたのにもう忘れていた。

 ツー、ツー、ツー……。
 あれ? だれもでない……。
「ねぇ、おかあさん、この音なに?」
 おかあさんの耳に受話器をあてて聞いてもらった。
「話し中みたいね……。」
 なんども電話をかけなおしたけれど、ずっと、話し中でだれもでなかった。
「おかあさん、わたし、行ってくる。」
「え、どこへ?」
「文化会館よ。」
 おかあさんの車でも十分で行けるから、自転車で近道したらもっと早いかもしれない。
「もう、しょうがない子ね。車に気をつけてね、よそみしないでまっすぐ走るのよ……。」
「うん。わかってるわよ。」
 いつもの通学路を猫又木山団地に向かって走った。
 団地に入ってすぐひだりに曲がって、二棟と三棟のあいだの公園をぬけて、六棟のうらにでると目のまえに猫又木山文化会館のある、おおきな木立ちがみえてきた。団地の北側のほそい道にでて東に向かうと、おおきな道にでてひだりに曲がるともう、文化会館のひろい駐車場がみえた。
 駐車場には十台ぐらいの車がとまっていて、自転車置き場にもバイクや自転車がならんでいた。
 玄関の木製のドアをあけてなかに入ると、ついこないだ来たばかりのひろい廊下は、エアコンが効いていてすごく涼しかった。一階の事務所のドアはあいていて、受付のひくいカウンターがみえた。
 カウンターの向こうには、頭のしろいおじさんがひとり机に向かってすわっている。
「あの……。」
 わたしはおじさんに声をかけた。
「はい……、なんですか?」
「わたし、こないだの絵本教室に参加した、井上あずきですけど……、外山先生の連絡先を教えてもらえないでしょうか?」
「絵本教室……?」
「はい。」
「どこの?」
「……、ここの三階ですけど。」
「ふーん? あったかなぁ、そんなの……。今月ですかぁ?」
「はい。八月二十日です……。」
 おじさんはちょっと首をかしげて、カウンターのうえのカレンダーをみてから、わたしの顔をまっすぐみたの。
「井上さん、二十日は月よう日なのでうちとこはやってませんよ。休館日なんです。」
 え……、キュウカンビ?
「あ、でも、わたし、おかあさんと来たんですけど……。」
「うーん、ここじゃないと思うけどなぁ、おかあさんと来たんですか?」
「はい。」
「じゃあ、おかあさんにもういちど聞いてみてよ。今月はそのような教室はやってないから、たぶん、場所ちがいだと思いますよ。」
 そんなの、うそだ!
「おじさん、どうしてそんなうそつくの!」
「えっ? そ、そんな……、うそじゃないって。ほら、これね、うちとこのパンフレット……、ここにね、毎週月よう日は休館日って、書いてあるでしょう。ね……?」
 わたしはおじさんの言うことが信じられなかった。なんだか、すごく悲しくて、くやしくて、ここにいたら泣いちゃいそうだったから、だまって事務所をでたけれど、自転車置き場にもどって、三階の窓をみあげたら、やっぱし、涙がでてきちゃった。

 わたしはそのまま、まっすぐ家に帰れなかった。
 猫又木山団地の公園のベンチにすわって、しばらくぼんやりしていた。もう、涙はでなかったけれど、家に帰って、おかあさんになんて言えばいいのかわからなかった。
「あずきちゃん……。」
 えっ……?
 気がついたら目のまえに、鈴木さんが猫をだっこして立っていたの。
「鈴木さん!」
 アー、アー……。
 あっ、イチロー? え……、どうして!
「ごめんね、あずきちゃん。」
 ごめん……って、なに?
 鈴木さんは眼鏡をかけていたから、あの日の鈴木さんじゃないみたいだったけれど、まちがいなく、鈴木さんだった。
「ねぇ、あずきちゃん、あたしの家でつめたいジュースでも飲もうよ。ね、いらっしゃい。」
 う、うん……。
 何がなんだかわからなかったけれど、わたしは自転車を押して、鈴木さんのあとをついて行った。鈴木さんの家は、猫又木山団地の六棟の一階にあった。
「さぁ、入ってちょうだい。ちょっと暑いけど、がまんしてね。」
 アー、アー……。
 イチローはわたしのことが気になるようすだった。
 玄関のちいさな表札には、鈴木って、黒いマジックで書いてあった。せまい玄関の奥には、あかるい台所があって、六畳ほどのとなりの部屋とつながっていた。台所の窓の向こうにはベランダがあって、洗濯物が干してあった。
「さぁ、ここへすわって……。」
 台所にはちいさなテーブルがあって、椅子がふたつ、向き合ってならんでいる。わたしはその椅子に腰かけて、鈴木さんの背中をみていた。鈴木さんは冷蔵庫から、おおきなペットボトルに入ったオレンジジュースをとりだして、細長いガラスのコップにそそぐと、しろいストローをそえてわたしのまえにおいた。
 鈴木さんは向かいの椅子を、わたしの正面からすこしずらして、しずかに腰かけた。
 イチローは窓のうえにすわって、まぶしい外をみている。
「さぁ、飲みなさい。」
 うん……、ジュースはつめたくておいしかった。
「ジュピターはね、すごく暑いところなんだよ。だからね、地球はとっても涼しくて、あたしとこにはエアコンも、扇風機もおいてないんだよ。いいところだね……、地球って。」
 たしかに、部屋のなかにはエアコンも、扇風機もみあたらなかった。
「あの……。」
「なんだい? 言ってごらん。あたしに遠慮しなくてもいいよ。」
「鈴木さんって……、ほんとうに木星から来たんですか?」
「ぐっ、ふっふっふっ……、そうかい、あずきちゃんはまだ、あたしのことが信用できないんだね。」
「だって、そんなの無理よ。わたし、もう、こどもじゃないの。」
「あー、それはわかってるよ。だから、あたしはね、あずきちゃんなら信じてもらえると思って、なにもかも話すつもりでいるんだよ。」
 そうだ……。鈴木さんだったら、外山先生のことを知ってるかもしれない……。
「ねぇ、鈴木さん、あたし、外山先生に会いたいの。鈴木さんは、外山先生のこと知ってるんでしょう? ねぇ……。」
 アー、アー……。
 窓のうえにいたイチローがふり向いて鳴いた。
「おや、どうしたんだい? あそびに行くのかい。」
 アー……。
「じゃあ、いっといで……。」
 イチローはベランダの手すりにすばやく飛びうつって外へでていった。
「あの子はね、あずきちゃんとこが好きなんだよ。涼しいからね……。ぐふっ。」
「え……、イチローは鈴木さんとこの猫なんですか?」
「そうだよ。あの子はね、ちょっと、ひみつのある子でね、あたしとここで生活してるの。あ、そうそう、あずきちゃん……、外山先生にはもう、会えないんだよ。」
 えっ……、
「どうして? どうして会えないの。」
「外山先生はね、また、猫にもどっちゃったんだよ……。」
 猫に……? 
 えっ? なによ、それ……。
「鈴木さん! わたしね、すごく真剣なの! 外山先生のこと知っているのだったら、ちゃんと話してください。お願い……。」

 わたしはまた、泣いちゃいそうだった。


                 つづく













散文(批評随筆小説等) あずきの恋人 (連載⑦) Copyright たま 2013-01-03 12:15:17
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