始発電車を待ちながら
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靴、ばかりを詰め込んだ、大きなキャリーバッグ。そこにひだりて
を置いて、まくら代わりに頬をのせる。ベンチに腰をかけながら、
指と、指のあいだを見つめている。鼻孔の奥に、巣食ったあくびを
殺せなかった。口まで覆ったマフラーから、白い息がもれる。その
まま口の中に、からだごと含ませられたら、どんなにあたたかいだ
ろうか。繭のように、絹糸につつまれて。舌の根に、冬が繁茂する。

みぎては、ファスナーの留め具をつまみ、左右にすべらせて、もて
あそんでいた。噛み合わされてゆく、細かな、音の連なり。(踏み
ならされる雪、反復される、軌跡。)白線の途切れ、に革靴。おろ
したてのせいか、まだ足になじまないらしく、鉄道員が、からだを
くの字に折り曲げながら、紐を結んではほどき、履いては、脱いで
を、くりかえしていた。線路は緩やかに湾曲し、どこまでも、つづ
いている。

鉄道員はつまさきを軽くならし、白い手袋をもういちどはめ直す。
誠実そうな背中を見せて、遠い場所に注意を向ける。軌条に、一筋
の光。電車は、まなざしのさきっぽを、くしゃり、と踏みつぶして、
緊張する街並み、ほの暗い朝、青白い風景、そのすべてに撫でられ
ながら、許されながら、絶やすことのなかった光を、むきだしにし
ている。まるで、何枚もの窓ガラスが、悲鳴をあげて、耳のうしろ
へと、とんでもない速度で滑走してゆくような、そんな光景だった。

ゆさぶられた視界を、正常なすがたへ戻してゆくように、ゆっくり
と、扉が用意されてゆく。目のまえに、ひとつと、並列する、扉。
合図とともにいっせいに口が開かれる。マフラーをほどく。冷気が
喉をつかむ。立ちあがり、キャリーバッグに手をかける。すると、
襟元からは、いくつもの、失効したチケットが、バラバラと、床に
落ちていった。


自由詩 始発電車を待ちながら Copyright sample 2012-12-18 03:26:41
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