猫と女とブラックホール
Mélodie

私がぼーっとしているせいかやたら猫が懐いてくる。
ごろごろ言いながら珍しくずっと抱っこされてるから、そりゃもう可愛い。
抱き抱えながら喉とか耳とか体全部とかひたすらナデナデする至福の時。
そりゃもう私、今がこの世の春とばかりに、休日を満喫しているわけなのだけども。

こんな小さい生き物が腕の中で完全に彼女自身を私に委ねているんだと考えたら、ふと。
ぞっ、と。
背筋を何かが唐突に走ったんだ。

今この瞬間、この子の生殺与奪は全部私が握っている。
世の中の母親が子供を産み落として最初に抱いた時、その瞬間からその子供の生殺与奪はその子供が反撃する力を得るまで母親のもの。
つまり、私が、今、この子の神。なのだ。とか。

うっかり思ってしまった。

こうやって世の中の大いなる勘違いと間違いはひっそりと、着実に、幸福の中から種が転がり、発芽し、育っていくのだろう。

私は自分が生涯母親というものになるつもりはないのだけども、まだ生まれて2か月やそこらの猫をもらって育ててきたわけだ。
うっかりもし私の中の黒いものがこの子に向いていたら、この子とっくに死んでるんじゃないかとか思ったら、もうなんかほんとにぞっとした。

猫は可愛い。
人間の子供のように手もかからない、
そんなこと考えている時点で、私は人間を産んで育てることなんて出来ないわけで、そんなこと考えてしまったりする時点で私はやっぱりうちの母親の血を引いているわけで、きっと子供を産んだらうちの母親みたいな母親になるんだって思ってしまったわけだ。

もう間違いなく、母親への強烈なトラウマやらコンプレックスやら前提としてもう大否定に更に大否定を重ねてしまう、いつまで経っても成長しない自分というのは自覚している。
けれども。
この年になると、もう、一人の女として、一人の女としての母親というものを考えてしまうのよ。
女だからこそ女には厳しい目線を向けてしまうという世間一般的なものも大いに自覚しながら、嫌いな女のタイプだなって思ったりするけど。
じゃあ、その血を引いてる私が今こんなことを偉そうに言っておいて、実際同じ立場に立たされたら同じような人生を送るんだろうという想像が容易に出来てしまって。

とてもじゃないけど、自分の感情のままに誰かに何かを望んだり期待したり寄りかかったり理由にしたり、それを人に伝えたりするもしくは押し付けたりすることはやっぱり出来ないって思ってしまった。

もし本気でやろうと思ったら、それほどに何か欲しいと思ったら、女として世間一般に許される及び諦められている物全部を、私はもう、覿面に、容赦なく、必要なだけ必要な時に確実に使うだろう。

ありったけの免罪符を用意して。

気持ちが悪い。

本当に気持ちが悪い。

でも、そこまで欲しいものもなかったし、というよりまず欲しいもの作る前に諦めるっていうのが身についてて、そういう部分で自分を騙すことが得意じゃないから、きっとそんなことする前に耐えられなくて死にそうな気もする。
出来ればそっちの方向でお願いしたい。
ネガティブだろうがそっちの方がマシ。
で、可愛くて可愛くてしかたない愛猫が珍しく懐いてきてほのぼの穏やかいい小春日和…とか思ってたのに、そこからこんな思考の渦に行っちゃうあたり、やっぱり真面目にお母さんにはなれないな、って思う。

人には向き不向きというものがあるんだよ。

うん。きっとね。

女とは恐ろしい生き物だ。
そして私も、どんなに抗っても女である。


散文(批評随筆小説等) 猫と女とブラックホール Copyright Mélodie 2012-12-16 12:40:00
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