オマージュⅡ
Giton
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宮澤賢治の長詩「小岩井農場」は、「ベ」氏のあの第6交響曲に着想を得ていると批評されることが多い。作品「春と修羅」は第5交響曲、「小岩井農場」は第6交響曲だと云うのだ。
じつは、私はあまりそうは感じない。だいいち、「第6」は第5楽章までしかないのに、「小岩井農場」は「パート九」まである。「第6」は、激しい嵐に見舞われた後、雨後のすがすがしい陽光の中で終結するが、
「小岩井農場」は、「わたくしの感官の外で…そそいでゐる」「つめたい」雨脚に濡れながら、「わたくしはかつきりみちをまがる」という不可解な文句で突然終わる。
ちっとも似ていないではないか…
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しかし、「第6」ということで言えば、
第1楽章の初め、木管がテーマを奏でたあとで、最初のオーケストレーションの盛り上がりの箇所* では、いつも圧倒的な“自然”の力を感じないではいられない。指揮者によって、そこに多少の迫力の違いがあるのは否めないが、ともかく作曲者の圧倒的な意図があったことはたしかだ。いつもは森の奥や沼蔭に身をひそめ、決して人々の前に現れることのない‘自然’は、いまや決然と懐を開いて、孤独な散歩者に対し、己が裸身をかいま見せようとするかのようだ。
私のような者でさえ、あの部分をウォークマンで聴きながら、たまたまブナ林の白い斑らの樹幹に出会いなどすれば、王侯のように気高い森の息吹きが吹き付けて来るのだ。
その圧倒的な“自然”の力、いや、“大地の息吹き”とでも言うほうが近い、それは、賢治の《心象スケッチ》には、つねに、間断なく感じられるところのものなのである。
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*(注) スコアの〔B〕(93小節目)〜。〔H〕(372小節目)〜。
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宮澤賢治という人は、「詩」が嫌いだった。「詩人」という鼻持ちならない人種が大嫌いだった──これは、おそらく間違えのないところなのだ。
自費出版した生前唯一の「詩集」の背に印刷された「詩集」という文字を、彼は銅の粉を擦り付けて執拗に抹消してから売りに出していたほどなのだ。
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少年時代の賢治にとって、短歌は日記に代わるものだった。つまり、単なる日記だった。したがって、啄木や子規のように手法を磨いて洗練しようという考えさえもなかったのだ。
やがて、溢れる‘詩情’が定型の枠におさまりきらずに自由詩形をとったとき、彼は、
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「これは詩ではない。私は科学者として心象を記録しているのだ。心象のごく粗いスケッチに過ぎない。」
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と、人に対して説明した。
これを、単なる謙遜だと思うならば、賢治の本意を取り損なうことになる。彼は、
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「私の記録したものを、詩などという“いままでのつぎはぎしたもの”☆といっしょにしないでほしい」
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とまで言っているのだ。
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☆(注) 岩波茂雄宛て書簡、1925.12.20.
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だから、賢治は、世の多くの人のように、「詩」を、あるいは「詩人」を志して詩作したことは、──少なくも初期においては──なかったのだと思う。
賢治にとって、それは、‘自然’が彼の身体を通して溢れさせてくる何ものかだったのだ。
彼が学生時代、盛岡で下宿生活を始める弟に宛てて書いた手紙は、そうして意図せず溢れ出た‘詩情’に彩られていた:
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「 玉井さんの家から下の橋の方に歩いて見給へ。
〔‥‥〕君はそこで岩手公園の美しい石垣を見るだらう。
その石垣の蔦の立派なことは、どんな季節でも、いつまで見ても、あきることはないだらう。
そしてその辺の芝草が、もういまごろは鋭く鳴ってゐる筈だ。〔‥‥〕
次にその手紙には、公園のポプラや榛の木が四季によって、その色やかたちがどんなに美しく見えるかが書かれていた。〔‥‥〕
そして手紙は次のようなことばで終っていた。
若しも君が、夕方岩手公園のグランドの上の、高い石垣の上に立って、アークライトの光の下で、青く暮れて行く山々や、河藻でかざられた中津川の方をながめたなら、ほんたうの盛岡の美しい早春がわかるだらう。」
(宮澤清六『兄のトランク』,1991,ちくま文庫,pp.35-38.)
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こうした賢治であったから、
1924年に出版した生前唯一の‘詩集’──『心象スケッチ 春と修羅』の中では、いとも楽天的に、
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わたくしは森やのはらのこひびと
(「一本木野」)
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とまで詠っていた。その言葉が、どれだけ‘本気’で言われていたのかは分からない。いや、
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こんなあかるい穹窿と草を
はんにちゆつくりあるくことは
いつたいなんといふおんけいだらう
わたくしはそれをはりつけとでもとりかへる
こひびととひとめみることでさへさうでないか
(「一本木野」)
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と言うくらいだから、作者としては相当に真摯な表白だったのだろう。
しかし、その真摯さに相手も真摯に応じたとき、そこにどれほどのっぴきならない拘束が生ずるものであるか、
‘大地の恋人’は分かっていたのだろうか。
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ひのきのひらめく六月に
おまへが刻んだその線は
やがてどんな重荷になつて
おまへに男らしい償ひを強ひるかわからない
(「雲とはんのき」)
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さて、
亡くなる2年ほど前、肺の病いも小康を得て、石灰販売のために奔走していた時分のことだ。賢治は、ひさびさに詩友の森荘已池を勤務先の岩手日報社に訪ね、山のように持参した春画を閲覧させた後で──そういう前置きをするところが、いかにも彼らしい変人ぶりなのだが──、《自分の禁欲は功利的な動機によるもので、今考えてみれば無駄なことだった。自分はまもなく結婚する予定だ。》と告げたそうである。
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しかし、《神》は嫉妬深いのだ…
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そういえば…“2年”と言えば…童話「なめとこ山の熊」の中で、
猟師小十郎に仕留められようとして、「二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまへの家の前でちゃんと死んでゐてやるから。」と言った熊は、約束どおり、2年目の日に小十郎の家の前で、
「ちゃんとあのこの前の熊が口からいっぱいに血を吐いて倒れてゐた。」★
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この話を、熊の‘無償の行為’として称賛するのは誤りであろう。
‘無償’ではなく《交換》こそが‘大地’の掟であるからだ◇。
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★(注) 「口からいっぱいに血を吐いて倒れてゐ」るという死に方は、肺結核で亡くなった作者の臨終の状況そのものである。賢治は、自らの死を予想してこの場面を描いたことは、間違えないと思われる。
◇(注) クロード・レヴィ=ストロースによれば、《交換》というしくみは、(‘自然’に直かに接して生きる)未開社会の根幹をなすものである。
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熊が《約束》どおりに小十郎の家の前で倒れた時、熊の死と《交換》に、小十郎自身の死──狩猟中に熊によって殺されるという死に方──もまた決定されたのだと考えなければならない。
小十郎は、熊の攻撃を受けて意識が遠のいて行く時に、
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「おお小十郎おまへを殺すつもりはなかった」
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という声を聞くのである。熊の攻撃は、いわば《大地の掟》の発動であって、熊の意思でさえないのだ。
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じっさいのところ、石灰販売に奔走するあまり身体を壊してしまった賢治は、出張先の東京で倒れてしまい、‘結婚’どころではなくなってしまう。そして、その倒れた日から、奇しくもちょうど2年目に病床で息を引き取るのである。
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風がおもてで呼んでゐる
起きあがり
赤いシャツと
終りのぼろぼろの外套を着て
暗いみぞれの風のなかに出て行き
葉のない黒い林のなかで
早くわたくしと結婚しろと
風がおもてで叫んでゐる
(『疾中』[下書稿(1)]より)
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まるで、いったん《大地》に対して求愛した者は、二度と決して約束をたがえることなど許されるものではないかのようである。
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(君は云へりき わが待たば
君も必ず来らんと……)
(愛しきされど愚かしき
遥けくなれの死しけるを
亡きと生けるはもろ共に
行き交ふことの許されね
いざはやなれはくらやみに
われは愛にぞ行くべかり)
(ゆふべはまことしかるらん
今宵はしかくあらぬなり)
(とは云へなれは何をもて
ひととわれとをさまたぐる
そのひとまことそのむかし
汝がありしごと愛しきに
しかも汝はいま亡きものを!)
(しかも汝とていまは亡し)
(「黄泉路」、『文語詩未定稿』より)
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宮沢賢治が、かつて愛し合った恋人に先立たれたというような伝記的事実がじっさいにあったのかどうかは分からない。おそらく無かったであろう。
しかし、そのような想定をしたくなるほどの強い愛欲のしがらみを体験していたことは、考えてもよいのではないだろうか。
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その恐ろしい黒雲が
またわたくしをとらうと来れば
わたくしは切なく熱くひとりもだえる
北上の河谷を覆ふ
あの雨雲と婚すると云ひ
森と野原をこもごも載せた
その洪積の台地を恋ふと
なかばは戯れに人にも寄せ
なかばは気を負ってほんたうにさうも思ひ
青い山河をさながらに
じぶんじしんと考へた
あゝそのことは私を責める
〔‥‥〕
あゝ友たちよはるかな友よ
きみはかゞやく穹窿や
透明な風 野原や森の
この恐るべき他の面を知るか
(『疾中』より)
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つまり、ここで作者が対峙している‘自然’は、都会人の休養の場としての‘自然’などではなく、砂漠や氷雪の山岳のような・人間社会の影響を受けない手つかずの‘自然’でもない。
「あの雨雲と婚すると云ひ/…なかばは気を負ってほんたうにさうも思」った‘自然’とは、
人間がその生産活動によっていやでも交渉していかなければならない‘自然’条件、つまり、農業の格闘の現場である《大地》と気象水文条件、経済条件、農村社会条件のことなのである。
かつて共に、牧歌的な農村改革の夢を語り合った「はるかな友」──保阪嘉内をはじめとする高等農林の同窓生ら──に対して、賢治は、そうした理想の持つ「恐るべき他の面を知るか」と言っているのである▽。
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▽(注) 菅原千恵子『宮沢賢治の青春』,1996,角川文庫,pp.238f.
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こうして、《大地のファウスト》は、己が青春の夢を、己が死をもって償ったのであろうか。
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くもにつらなるでこぼこがらす
はるかかなたを赤き狐のせわしきゆきき
べっかうめがねのメフィスト
(『冬のスケッチ・補遺』より)◆
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◆(注) 「赤き狐」「べっこう眼鏡」は、農民たちに改良を勧める有識者や官吏たちを指すとも解しうるであろう。
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