【批評祭参加作品】おーい、そろもん!
佐々宝砂

みつべえさんの「そろもん」シリーズについて、書きたい。このシリーズは、「噴水の話」からはじまり現時点で「王の話」まで、30作品以上が投稿されている。すべての作品にリンクを貼るのはめんどいので、みつべえさんの作品リストのURLを貼っておく。

http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=346

著者別リスト(Point合計順)を見てりゃわかると思うし、隠すことでもないので書いてしまうが、しばらく前から、みつべえさんと私は著者別Point合計順の2位3位を争っている。1位のたもつさんとは1000点近く差があるのに、2位3位は僅差を争うデッドヒート、合計点ではかろうじて私が上回っているものの、ひとつひとつの詩のポイントは明らかに私が負けている(笑)。でもいいもんね、私、質より量で稼ぐんだもん、でなきゃ批評でポイント稼ぐんだもん、ふんだふーんだ、私それでもフェアにやるんだもん、私みつべえさんの詩にポイント入れるしぃ、みつべえさんも私の詩にポイントくれるしぃ、ほぉら、みつべえさん、敵に塩を送ってあげるわよぉ、どさぁーっと山盛りに送っちゃうわん、なめくじみたいに溶けちゃう? などとゆー好敵手同士の美しい友愛は他人に関係ないので(実はみつべえさんにも関係なかったり、汗(^_^;)、ふざけるのはこのへんでやめとこう。

「そろもん」シリーズは、ふざけた口調のものと、いやににシビアなものとが入り交じっている。ふざけた口調にみえて実はシリアスな内容のものもある。それは書き手のそのときの気分による違いかもしれないし、あるいは計算づくのものなのかもしれない。詩の表面的題材は、日常生活的なことから、ドラゴンや呪文のようなRPG的またはファンタジックなものごと、さらには詩の定義のような抽象的なものにまで及ぶ。これらを総まとめして「そろもん」とくくっている作者の狙いはどこにあるのだろうか? そもそも「そろもん」とは何者か? もちろんそんなことまるで知らなくても、詩を読むことはできる。しかし私は、一応自分の知っていることだけでも書いておきたい。非常にどうでもいい知識だと言えば言えるのだが。

普通一般的に、ソロモンは、古代イスラエルの王である。どんな動物とも意志を通じることのできる指輪を持っていたという(ローレンツの有名な動物行動学入門書『ソロモンの指輪』はこの挿話に由来する)。ソロモンが単なる王だったのかそれとも魔道師でもあったのか、実際のところは定かでないし、そもそもソロモンが実在したかどうかだってアヤシイのだが、ソロモンは魔道師だったことになっている。アレイスター・クロウリー(このヒトは確かに実在した変人魔術師)によれば、ソロモンは72の霊(悪魔)を呼び出し、使役魔として使ったという。書いてるだけであほくさい。というか実にゲームっぽい。しかしこうしたことが、一部のマニアにより今なお伝承されているのは本当のことである。ではみつべえさんは、72の悪魔について書くつもりなんだろうか。まあそんなつもりはないだろうと思うけれども、全部で72作だったらかなり楽しいですな。

「そろもん」シリーズは、愉しめるだけ愉しんで、そのあと少しだけ「ん?」と思えばいい、基本的にはそんな詩作群なのだと私は考えている。私が大好きなのはたとえばこれ、

>「そろもん(召喚呪文の話)」
>
>われこそは つよきあほたれ
>はじしらずで あしもくさいぞ
>どうだ まいったか
>かしこまって ここにきたれ
>わが しもべたち

いやあ、いいですね。呪文らしく語呂がいい。ひらがなで書いてあり、空白が変にいれてあるので、それがまたゲームの呪文ぽい。「われこそは つよき」「わが」などというやや文語的な言葉と「どうだ まいったか」が同居するところなど、実に実にゲームぽくて最高。爆笑もんである。たいていのヒトは「ははー負けました」とひれふしてしまいそうだ。しかしもちろん、「そろもん」シリーズは笑ってオシマイの連作ではない。「ん?」と思わせるだけでもない。

さっき書き落としたが、ソロモンはキリスト教の聖書に、非常に聡明で平和的な王として登場する。そもそも「ソロモン」とは平和を意味する。アヤシゲな魔道師という伝承ばかりが伝わってるわけではない。旧約聖書「箴言」は、ソロモン王の言葉とされている。「箴言」は、まあかなり説教臭い名言集だけれども、現在にも通じる部分は多い。例をひとつあげよう。

「自分に関係のない争いに干渉する者は、通りすがりの犬の耳をつかむ者のようだ」
(日本聖書刊行会の新改訳『旧約聖書』より「箴言」26.17)

この箴言は今だって立派に通用する。みつべえさんは、現在のソロモンをめざして箴言を書いているのかもしれない。だとしたら、72では足りないだろう。あるいは、人間に必要な箴言は、おおもとのソロモンがたいてい書いてしまっているだろう。なのに、あえて書く、その行為が、私は嫌いではない。日の下に新しいものはない、とすでに旧約聖書「伝道の書」は述べているが、それが事実だとしても、私たちは何か書かずにはいられないのだ。

もうひとつ私の好きな作品をあげておこう。わりと最近の作で、まだあまり人気のない、こんなもの。

>「そろもん(黒い森の話)」
>
>城壁の外側は 黒い森
>魔ものが潜んでいます
>その周辺と全部の夜は かれのもので
>子どもたちは 夢のなかに
>ランプを吊るして眠ります

この短詩からは、魔法の匂いがする。ゲームの世界の魔法ではない。黒い森の魔法だ。確かに闇につながってゆく魔法だ。夢のなかにすら侵入してくる黒いもの。私はその黒いものの後ろ姿くらいなら見たことがある。でもそれ以上は見たくない。見ないほうが安全だと思う。

「そろもん」の背後に広がる森は深い。入り口はいくつもあり、どれも間口が広い。だが内部は迷路になっていて、出口はたったひとつ。私は出口を見つける自信がない。あなたには、あるだろうか?


散文(批評随筆小説等) 【批評祭参加作品】おーい、そろもん! Copyright 佐々宝砂 2004-12-19 23:19:32
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