宝籤
はるな
宝籤のしっぽの先はあいかわらずまちがいみたいにほんのわずかに白い。
まずはじめは、(はじめっていうのは、16歳という意味だけど)、愛されていないと思っていた。愛というのはとても遠くにあり、日常には降りてこないようなものだと思っていた。部屋は四角く、灰色で、生温かかった。いくつかの心地よい夢を持っていて、だいたい好きなときにそこに行くことができた。それから、春がきて冬がきて、しばらくしてもう一度冬がきたのちに、十八になった。部屋にはときどき扉があらわれ、わたしは強固な鎧ももっていた。いつでも鎧を着て、絵筆をもち、あらゆることに色をつけて分けていった。それから春がきて、二十になった。わたしの鎧はどんどん薄くなり、ほとんど透けた絹のようにもなった。そのころには、部屋は、世界とおなじように明るくなったり暗くなったりし、また、夢はいつのまにか遠のき、思うように行くことができなかった。窓があらわれ、割れた。
宝籤を裏がえすと、下腹にむけてだんだんと毛がうすくなり、皮膚があらわになる。そこに触れると、思っているよりもずっと生々しい感触がして、さいしょは、すごくこわかった。いまはすこしだけこわい。
はんたいに、おでこのあたりの毛はいちばんにやわらかくて、それは今までみてきたどんな上質な毛皮よりもあたたかい。耳が三角形にしずかに垂れているさまが、どうしようもなく愛くるしい。
おもえば部屋には、いつも鏡がなかった。灰色で、四角く、わたしはだんだん大きくなった。頬の肉がすこしずつなくなっていって、そのぶん腰がほんのりと厚くなった。
だれも部屋にはいれていない。わたしはいつも出かけて行った。望むと望まざるにかかわらず。わたしは自分の足で歩くことができたし、自分の目でえらぶことができた。さわることができたし、捨てることもできた。抱きしめることもできるのだということに気付いたのは、ずっとあとになってからだ。そして、気づいた今でも、だけどどういうふうにやればいいのか理解しきってはいない。
愛は、だんだんとあらわれはじめた。
部屋のそとにだ。
それが存在していることがあるとき突然わかった。それはただ、何ものにも関係なく存在しているのだと。それがわかったあとで、部屋に窓があらわれた。窓は、まぎれもなくわたしが欲したのだ。そして、扉を開閉できるようにもなった。
それから、海や空をみた。長いあいだ、知っているだけだった多くの物事に出会うことができるようになった。つめたさや、暗さを、しみじみと覚えることができる。ひとが、たくさん生きているのだなと思った。
宝籤は、ほんの赤ん坊だったのに。宝籤は雑種の捨て犬なので、どのくらい大きくなるのかがよくわからない。ころころと足の短いころには想像もできなかった、下腹から後ろ足にかけてがきゅっとくびれていて、格好良い犬になりそうねと母が言う。信じられないくらいの軽やかさで駆けまわるときは、目で追えないほどだ。
宝籤は知っているだろうか。海とか、空とかが、想像ではなくて実際に存在していること。どのような草にも根というものがあって、永遠には青くいないこと。宝籤が、生まれてきて、死ぬこと。自分がどれだけ愛らしくて、ユニークな存在であるかを。宝籤の尻尾に、まちがいみたいにわずかに白い毛があることを。このうちに来てから、たぶん死ぬまで、ずっと。
まずはじめは、愛されていないと思っていた。愛がなにかも知らないで。
そして今は、それが存在することを知っている。それがいったい何なのかを、知らないまま。