午前八時三十五分、恋に落ちて(掌編小説)
そらの珊瑚

線路の上をただひたすらに走る毎日は、それが仕事とはいえ時につまらないものに見えてきます。

そんな時でした。あなたに出会ったのは。

午前八時三十五分、あなたは反対車線からやってきます。
マリンブルーを身に纏い、あたかもそれは湘南の海を、潮風を、想像させていかにも爽やかな面持ちです。

私は京浜東北線、あなたは横須賀線。

ふたりが近づくのはほんのひとときですが、その瞬間窓硝子がしびれたようにびりりといいました。
ああ、恋って。こんなに心震えるものかと思ったのでした。

私は生来臆病なたちなので、道を踏み外してあなたと共に生きていくことなど、これからも到底できないでしょうが、窓硝子がびりりと震え、透明な空気が電気を帯びて共鳴したあの奇跡のような瞬間を、今でも ひそやかに思い出すことで、幸せな気持ちになるのです。

紛れもなくそれは恋。恋でありましょう。

春になったら駅の山手側に沿って植えられたソメイヨシノが咲くことでしょう。
散り始めたらその花びらを髪に飾るわたしを見てくださいますか?
午前八時三十五分、あなたにそれを見てもらいたくて、また今日も決まった道を走ります。
ささやかな恋ではあるけれど、それは私の背中をそっと押してくれる、大切な時間であるのです。

夏になったら命短い蝉とともにわたしも歌を唄いましょう。
秋になったらすすきの穂が手招きすることでしょう。
冬になったら鳩が羽をふくらませながら、ホームを散歩することでしょう。

わたしたちが乗せている人間もまたこんな風に恋をすることがあるのでしょうか?
恋は鼓動を早くする苦い薬だ、とつぶやいたのは、もう既にこの世にはない、ある老紳士の言葉だったと記憶しています。麻のズボンにはいつも生真面目なくらい折り目がついていて、ボルサリーノの帽子がとてもよくお似合いでしたっけ。きっとこの駅で誰かを待っていたに違いありません。それはついぞ叶わなかったようですが。

恋はあまり真剣になると、寿命を縮めるものかもしれませんね。特に、なけなしの恋というものは。
えてして働く男は首を紐で日常につながれていて、働く女はハイヒールのかかとの間にできたわずかな空間に秘密を隠しているのです。
全てを展開図にしてみれば、形だけの世界になり、そこには生きていくために寄りかかる厚みがなくなってしまうのです。

そして確実に立体世界は疲弊している。

──白線の内側にお下がりください。
たまに間違う人間がいるでしょう。
内側はあちら側から見て、の意味。
道を踏み外して、線路という奈落に落ちてしまう人々。
そして私はその終焉の片棒を担がされてしまうのです。
とてもかなしいことですが。

発車のベルが鳴ります。
駅という劇場に。
あなたの一日が平凡な一日であるよう、お祈りしています。


散文(批評随筆小説等) 午前八時三十五分、恋に落ちて(掌編小説) Copyright そらの珊瑚 2012-12-02 13:54:53
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