(批評祭参加作品)僕らは皆生きている〜かにクラブ「コウモリの森」
たもつ

http://homepage3.nifty.com/kanicrab/music/lylics.htm#08

コウモリという動物は悪いイメージで語られることが少なくない。
例えば、イソップ物語では状況に応じて動物側にも鳥側にもつく悪者的存在で描かれている。
その影響だろうか、日和見的な人を「コウモリ」と揶揄することもある。
あるいは、夜行性であり、昼間は洞窟のような薄暗いところに群れているとともに、家畜の
血を吸う(正しくはなめる)種類がいることから、気味の悪い生き物として描かれることも
多々ある。ただし、それは、明らかに人間の身勝手さによるものだ。

「ぼくらはみんないきている」という歌があるが、僕ら人間と同じようにコウモリも生きて
いる。コウモリを差別するように、他人を差別していないだろうか。そして、自分を蔑んで
いないだろうか。

>爪のあるつばさだ
>そうその手がつばさだ

僕ら人間は空を飛ぶことはできないが、「手」がある。それは生きていくため の「手」、
そして空を飛ぶ(夢を実現する)ための「手」だ(もちろん「手」のない人もおられます。
あくまでも比喩です)。

時々、ふと他の人をまぶしく感じるときがある。そして自分自身をつまらない存在と感じる
ときがある。もしかしたら、自分は日の当たらないところでいきているのではないか、とい
う疎外感。
それでも、空を飛ぶための「手」がある、そして「月」をも目指すことができる、そんなメ
ッセージがこの歌詞にはこめられている。そのメッセージは

>儚いと嘆く
>人間の心が儚いと

にも込められている。
コウモリの寿命は五年くらい、種類にもよるだろうが長いものでは二十年になるものもいる
らしい。
それでも人間の寿命に比べたらはるかに儚い。けれども、それこそ人間の勝手な思い込みか
もしれない。
寿命に差はあれ、その生物が体感する一生は同じだ、という説もある。
カニクラブの曲に出てくるのはカニだったり、蛙だったり、「高橋君」だったり、と小さく
て弱くて名も無いものたちだ。
皆が皆、限られた命という枠の中で、精一杯その生命の炎を燃やしている。

歌詞として全体を見てみると、先ほどのメッセージは全体の僅か二箇所ほどで、あとは全体
的に抑制され淡々とした筆致となっており、そこにメッセージソング特有の暑苦しさはない。

曲をお聴かせできないのが残念だが淡々とした歌詞がドラマチックに盛り上がっていくメロ
ディーにうまくのり、クールな楽曲に仕上がっている。


※試聴できました
http://homepage3.nifty.com/kanicrab/music/discography.htm



散文(批評随筆小説等) (批評祭参加作品)僕らは皆生きている〜かにクラブ「コウモリの森」 Copyright たもつ 2004-12-18 23:49:38
notebook Home