貿易商の吉田氏は婿養子ではない。
三十二年前に悩んだ末、帰化の際に夫人の姓を選択したのだ。
実際問題、外語表記は簡素に限る。姓のサッタラジャハンニを漢字に直
せば最低五文字を要し、それではマラーティー語で「清い道の智者」とい
う本来の意味が失われる。これに名のアッサンターリ(秀男の意)を中国
由来の複雑な象形文字で表すとなれば、間違いなく右手は腱鞘炎だろう。
運命の導きで出会い、将来を誓った恋人の姓がクロスとアンダーバー、
スクエアで成るのは幸いであった。いや、これも必然の証に相違ないが。
勿論、ガイジンに身がまえる
癖が抜けない日本人の耳目からゆくゆく子
孫がこうむる面倒、税金は平等にふんだくるくせ選挙権も永住権も認めぬ
出入国管理の煩瑣もある。が、とみに近年は生来の端正な丸顔の下、出自
にふさわしい太鼓腹を有する彼に国籍変更を促した根本動機は、カースト
制でがんじがらめの社会に対する倦厭にあった。
アッサンターリは三男坊である。
家督は長兄のジャヤヤバイ(貴司の意)が継ぎ、次兄のサッパラナンダ
(崇志の意)や弟のゴッパラシーリ(英雄の意)が連なるのに、愛する美
しい日本女性と結婚するに当たって一族の猛反対に遭う。
ハヌマーン(猿神)の転生を標榜する太古のマハラージャに仕えた。と
の伝承を標榜する高位ブラフミンの家系である。との矜持には何ら史実的
傍証はないのだが、外国人と異教徒をアウトカースト(不可触民)に等し
いと見做していたのだ。
神聖の系統ブラフミンは、あらゆる汚染を避けねばならない。人間の範
疇に入らぬ不可触民は見てもならぬとされている。
片田舎に住む祖母などは、通いのドビー(洗濯人)やヴァルミキ(便所
掃除人)の賃金を、召使を介して渡していた。裏口のポーチに届けさせた
籠の中身を乾かして着、顔を拭き、あるいはくるまって眠るくせにであ
る。
召使達は上前をはねていた。ドアを開けて手渡しせず、脇の小窓から放
る。やりきれない夏の午後を従兄弟らとピロティーで遊んでいると、言い
争う声が聞こえたものだ。
「知らないよ、あたしはちゃんと投げたんだから」「嘘つくんじゃない
よ。どことどこに散らばったか、こっちはちゃんと見てるんだ」「そんな
に目がいいなら、もっとちゃんと探すんだね」「奥様を呼んでよ」「奥様
がお前なんかと話すと思うの? ハハハ!」
「コソ泥! 訴えてやる」「ああ訴えな、お前に耳を貸す警官がいるな
らな」「お願いします、今日は利息を返さないと」「全部拾ったのに、い
つも足りないって言うんだろ? 誰がコソ泥だ、とっとと帰れ!」
大地主の祖父同様、祖母や伯父夫婦がシュードラ(奴婢階級)の雇い人
とそれ以下の衆生に関心を払う理由はなかった。前者は邸内の下働きとし
て、後者は目に触れぬ戸外で分をわきまえるべき、どちらも賤奴に過ぎな
い。五階層の世界は、「わたしの床はあなたの天井」構造ではないのだっ
た。
灼熱の地面を裸足で帰って行く、痩せこけた男女の姿は幼いアッサンタ
ーリの胸に強い悲哀を残した。そうやって生きて行くしかないのだと知っ
てからは尚更だ。
前世の悪業を負い、汚物や死体を扱う生業を定められた彼らがそこから
脱する道はない。下位カーストと違い、篤信と引換えに来世でのましな境
涯が叶えられる死後転生もない。未来永劫、子孫も疎外と蹂躙を生きる。
自身を「ダリット(破壊された人間)」と呼ぶ所以である。
イスラム教、キリスト教、仏教、何に改宗したところでダリットはダリ
ット、社会の基礎がカーストなのだ。何かあれば男は袋叩きにされ、集落
は焼き打ちされ、いつでも女は強姦される。
憲法は政教分離を謳い、カーストを否定している。しかしこの因習は宗
教上の特権階級だけでなく、数千に及ぶ分類と序列から成る上位ジャーテ
ィ(サブカースト=職業集団)の利権を守っている。
雑婚により己がヴァルナ(種姓)を穢すことは輪廻からの離脱、即ち絶
縁をも意味した。ましてやアウトカーストだ、粛々と清浄が維持されて来
た家系を拭い難く辱める。現実には氏しか誇るものとて持たぬ遠縁の叔父
が殺意まで仄めかすわけだった。
この「不浄」観念の為にこそ姉も、女と生まれたがゆえに結婚には余計
な苦労を強いられたではないか。同位ブラフミンの独身男が見つからず、
あわや行き遅れの笑い者になるところだった挙げ句、心も貧しい再婚男と
の生活に今も苦衷が絶えない。彼女の失望や忍耐は愛の思い出が作るので
はなく、ただただ身分の維持と出戻り地獄の恐怖ゆえだ。
と、このように高等教育のどこかで邪教の思想にかぶれてしまった変人
が翻意せぬと理解するや、異教徒でも司祭の家系だったら許してやると高
圧的に譲歩して来た。
ムンバイで州政府高官に登りつめた父には、一族の末端までが余禄を期
待していた。その三男が稼ぎ出す通貨はアメリカドルより強いらしい。放
逐してしまったら倅の代が関与できないではないか。日本車と「ウォーク
マン」が世界を席巻していた頃である。
ところが始祖の生業など遡る必要性のない恵子サンは、両親を含めて三
代前までしか知らない。
父方は古い順に農家・兼業農家・公務員、母方は商家・兼業商家・サラ
リーマンといった具合で、双方の実家に問合わせてみても、五代前の親戚
にさえ僧侶のソの字、尼僧のニの字も見出せない。神職のシの字、神父や
牧師も、ラビのラの字、ムッラーのムの字は言を待たない。
父方は浄土真宗、母方は真言宗であるが、日本の仏教徒は生涯数度の葬
儀と、年ふるほどにぞんざいな年忌法要で発作的に関わるだけなのだそう
だ。葬儀屋のメニューを前に戒名について今生と来世の格差をひと時悩む
信徒ではあれ、信仰自体にこだわりがあるわけではないらしい。
窮しているところへ、父方の縁戚にとある新興宗教に走った女性が一名
いると判明した。
一九六〇年代、非常に熱心な勧誘活動と選挙支援を展開した為に鼻つま
み者となり、その甲斐あって後年は地域の支部長にまで昇格し、信徒の通
夜告別式には故人と面識もない大勢を引率して会場の半分と読経を占拠
し、親族席と一般会葬者を威圧する大任に在ったという。
これをブラフミン相当の証立てとしたため、どこぞの国家元首と並んで
微笑む教祖の記事を週刊誌からひっぺがして送ってやった。
注釈
(1)人名のマラーティー語はでたらめ。
(2)ダリットの裸足 … 公道や上位者の敷地にかかる場所では、敬意を
表して履物を脱ぐ。