南房総ポエトリカル・アンソロジー  その1
あおば

南三原駅




絵が描けないので代わりに写真を載せているのだが、そんなに多くを載せるわけにもゆかず、文章を多く書かねばならない。 読む方には難儀なことだと思いつつルル認める。 2008年7月19日の土曜日、千葉県南房総市にあるローズマリー公園に英国詩の朗読イベントを聞きに出かける。 吉祥寺8時発の中央線快速電車はお茶の水まで、総武線緩行に乗り換え錦糸町で外房線の上総一ノ宮行きの快速に落ち着く。E217系の電車の座席はロングシートなので旅行気分にはならない。もちろん仕事気分でもなく、緊張を浮かしたままに千葉を過ぎ、青空トンネルで有名な土気のあたりまで来たが、車窓から垣間見える住宅の群れにまだ東京圏内に居るのを悟る。次の大網あたりからは住宅は減り広々とした田園が繋がりだす。上総一ノ宮で下車し同じプラットホームの反対側に来た安房鴨川行きに乗り換える。電車は古いおなじみのスカ色塗装近郊型113系に変わり座席は柔らかいクロスシート、旧式の台車の枕バネはエアサスペンションではないが、横揺れも少なく乗り心地はE217系より好ましい。新幹線電車の先駆けとも言える、戦後まもなく衝撃的に登場した80系湘南電車を軽量高性能化した、1958年登場のやや平凡な91型(153系)でおなじみとなった面構えの元気な113系のおでこ顔もそろそろ見納めかと思うと来るべき時だったのかもしれない。しかし沿線から走行する電車を撮影する精神的な余裕がなかったのが悔やまれる。



鴨川行き113系電車


見晴らしの良い窓際席には達観なされた年配の女性がブラインドを下げて外を見ることなくつくねんと居眠りをしている。せっかくよく晴れて良い天気なのに 少しもったいないが、立ち上がって見晴らしの良い席を探す気にもなれず、通路側の居心地の良い席でつくねんと時間の経つのを耐えていた。 鴨川からは内房線の千葉行きに乗り換える。下車したホームの反対側なので数秒で乗り換え可能なので、2分ほどで発車。早く行きたい人には好都合なのだろうが、乗り換えの待ち時間が少なすぎて慌ただしい。途中下車できる切符がなんの役にも立たない。考えてみたら安房鴨川に来たのは三度目。初めては1961年の夏、母と姉と三人で内房線経由で海水浴に訪れた。電化前なのでジーゼルカー、キハ17(元キハ45000)の5連は海岸沿いの侘びしい線路を淡々とひた走る。時速40キロくらいまではトルクコンバーターが唸り、落ち着きがないのだが、その速度を超えると、直結クラッチが入り、滑ることが無くなり、背筋が伸びるようにスピードに乗って、時速90キロ程度ですたすたと快走する。軽量化のために天井は低く、ビニールクロスのシートはやや貧弱で あったが、地球温暖化前の千葉は夏でもさほど暑くなくエアコンが無く ても暑くなかった。エンジンはDMH180Bの160PS、台車はゴムバネを多用したDT19型。このパワーで100名以上を軽々と運ぶのだから鉄道はバカに出来ない乗物だと思った。電化してキハ17から113系には代わったものの沿線の感じはさほど変わらないが、海側の家がモダンになり戸数も増加して、諸処に高層のアパート、ホテルなどが目に付いた。変化は道路の方で、当たり前すぎて全く印象に残っていなかった狭い砂利道が広々とした国道となり車が目まぐるしく走っている。当然列車の乗降数はかなり減少しているようである。



車窓からの太平洋



11時過ぎ閑散とした日当たりのよい南三原駅で下車するが、一緒に降りた人は他に あったのか記憶にないくらい少ない。このあたりはSuicaの利用圏外とのことで、吉祥寺からの普通料金を現金で支払う。 次回に続く。



散文(批評随筆小説等) 南房総ポエトリカル・アンソロジー  その1 Copyright あおば 2012-11-23 13:55:06
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