「良い豆」考
深水遊脚

 コーヒースレッドとともに私のコーヒーライフも大きく変わりました。言葉にして書き出すことは、自分が普段何気なくしていることについて、あらためて意識して考える機会をもたらしてくれます。書き込んでくれるユーザーの方々からも、いい刺激をいっぱいもらっています。この場を借りて感謝。

 これを始める少し前までは、1日1杯いれるかいれないかという状態がずっと続いていました。もっと前までは、缶コーヒーや外食での食後のコーヒー、カフェで読書しながら飲む安いコーヒーが主で、自分でいれることがめったにありませんでした。豆の管理も杜撰で、100グラムずつしか買わないのに半年くらい常温で放置していたりもしていました。20代の頃にだいぶ凝っていて、父もコーヒーをいれるのが好きだった為に、コーヒーは実家に当たり前のものとしてありました。いれる直前にミルで豆を挽くのもごく自然な習慣でした。この習慣について私は父に感謝するべきかもしれません。とはいえ、たとえば紅茶とか麦茶とか、それぞれにおいしい作り方のコツを自分なりに持っていた私にとって、コーヒーは手製ソフトドリンクの選択肢のひとつでしかありませんでした。

 ちなみにですが、手製のソフトドリンクを自分なりに美味しくつくる習慣はもっておいて損はないです。外で買うと案外高くつきますし、身体が弱っているときに味を調整したくても手製ほどの自由がききません。お茶の葉やコーヒー豆は、買うときは高く感じても一杯あたりの値段は、高級品でも缶飲料の半分程度ではないかと思います。急須やドリッパーなどの器具の値段をいれても、2〜3年の長い目で見れば節約効果は大きいです。そのうえ茶葉などの分量、温度、添加する砂糖やミルク、洋酒などの効果をみて味の変化を観察することは、食事作りにも役立ちます。味見の仕方が変わってきます。

 横道にそれました。いいものを味わう為には、大別して金をかける方法と手間をかける方法があります。私は手間をかける方法が好きです。金をかける方法は時々ひどい裏切りにあいます。でも、手間をかける方法で自分がかけた手間は、絶対に裏切りません。手間をかけた分だけ美味しくなるし、手間を惜しめばそれなりの味になります。たしかに手間が報われないと感じることもあります。痛恨のミスなんていうものもあります。それも大きな目で見れば自分の味を生み出す為の試行錯誤のプロセスであり、食材に自分が加えた手間がこんなふうに返ってきたというひとつの経験です。金をかける方法にも2つあります。ひとつは外食、もうひとつは高級素材を買ってくることです。高級素材を生かしきる料理の腕がないと、かけたお金だけの効果は得られないかもしれません。でも、いい素材でちゃんといい味を知っていることも案外大切です。

 コーヒースレッド開設以来ここ半年間ほどの私のコーヒーについての試行錯誤は、手間をかけることに加えて、素材に金をかけることを含めた様々な選択の中でしてきたことでした。アイスコーヒーに酸味系のコスタリカを使ったり、直火型エスプレッソメーカー(マキネッタ)を初めて使ってみたり、それを使ってイタリア風の濃いカフェや、バリエーションでカフェフレッドシェケラート、冒険でコーヒーソーダを作ってみたり、いろいろ楽しみました。いまはハンドドリップに落ち着いています。マキネッタで作るカフェで濃いコーヒーに抵抗がなくなった私は、豆を細く挽き、蒸らしに長い時間をかけ、2〜4回目の注湯の量を抑え目にしてコクをしっかり出した、かなり濃いめのドリップコーヒーをペーパードリップで飲むことが多いです。私がいま考える良い豆は、このいれ方に耐えられる豆のことです。

 まだ感覚的につかんでいるだけで科学的な見識もない、しかも素人の私ですが、いろいろ知識を入れる前にもう少し素で書いてみようと思います。このいれ方は、豆の良い味も悪い味もすべて出し尽くすやり方だと私は思っています。焙煎ムラのある豆を使うと変に生臭い味がしたり、逆に焦げすぎた味も混じります。でも、このいれ方をしても、浅煎りでも深煎りでもこうしたいやな味がひとつもせず、浅煎りの豆は果物のような新鮮な酸味と甘味と香りがして、深煎りの豆はチョコレートや蒸留酒、ドライフルーツのような奥行きを感じさせてくれ、無防備に最後の一滴まで楽しめる、そんな豆が確かにあります。その豆を作り出してくれるロースターが、いまのところ一人だけいます。客観的に味を評価すればもう何人か信頼できるロースターはいるのですが、喫茶店でお客さんにもコーヒーを出していること、少しも威張った感じがなくそこで過ごすお客さんがみんなそれぞれにくつろいで楽しそうなところ、産地を厳選しており、同じ産地の豆でも味が違うものになってしまえば潔く取り扱いをやめてしまうところ、時々噛んで割って中の煎りムラを調べるくせがついた私ですが、この人の煎る豆で煎りムラをみたことがないこと、などなどの理由で個人的に絶対に近い信頼を置いています。

 コーヒーの抽出法の注意点の多くは、雑味や渋味などのネガティブな味をいかに出さないか、ということを考えたものです。それが基本になってしまえば、どのような素材にもネガティブな要素をさがしてそれを隠すような考え方が、お手本として刷り込まれてしまいます。直感で捉えた作品からくる感慨を表明するよりもあら探しが先に来てしまうような批評の間の抜けた感じに、どこか似ています。苦手な味も含めてすべてを受け入れて、無防備でも最後まで楽しめたとき、それが私にとっての良い豆なのだと、いまは考えています。


散文(批評随筆小説等) 「良い豆」考 Copyright 深水遊脚 2012-11-19 15:23:28
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