カーペットのこと
はるな

友人からのながい電話を受けていると、耳もとで言葉がばら、ばら、と雑音のように崩れていく。夜。夫は仕事のあとに飲み会があると連絡をくれた。冷めてしまったスープ、かたくなったパン。きのうやっと出してきた、冬用のカーペットは毛足が長く、撫でると撫でたかたちに色の濃淡が変わる。

新しい職場はビルの20階にあって、窓からは、海と、ほかのビルと、線路が見える。夕暮れは立派だが、しかし、つよすぎる西日のためにカーテンが引かれ、座っている席から直接みることはできない。
となりの席には、おなじ立場で仕事をしている女の子がすわっていて、何か質問があると「いま大丈夫ですか?」と小首をかしげて聞いてくる。年上だけれど、すごく愛らしい顔立ちをしていて、良い匂いがするので、しょっちゅうどきりとしてしまう。
仕事の忙しさにはそれなりに緩急があり、退屈すぎてつらいということはない。みんな優しく、派遣という立場で来ているわたしの責任は重しの置かれていない厚紙くらいで、軽すぎるということもないけれど、大きな問題があればふきとんでしまう。

すこし旧い型のパソコン。手に取れる範囲だけでも四台ある電話機、ぶ厚いマニュアルと、2本のボールペン、それから、黄色の蛍光マーカー。

晴れた日に、席を立って、20階から外をながめる、ビルはいつもかたく突き立っており、海がひかっている。
わたしは、ああ、と思う。
道路には色とりどりに車が行き交い、コーヒーの自動販売機からかすかに匂いがしている。すごく遠くのほうで鳥のようななにかが羽ばたいているのも、見える。
わたしは、ああ、と思い、それだけ。

いつもいつの間にか夜が来ていて、うちに帰り、皿をあたため、夫が帰る前に窓と床を拭く。夫から夕食はいらないと連絡があり、友人からながい電話があり、ことばはばらばらの雑音になり、我に返る。いつから我を忘れているのだったか、よくわからない。ただ、1日に2度か3度、ふと我に返り、海をながめ、ああ、と思う。

―昨日の夜電車がとまってさ。
昼間、向いの机のひとたちが話していた。
―1時間も缶詰だったよ。人身事故だって。
―死ぬならほかのところで死んでほしいですよね。
―ああ、どっか迷惑かかんないところで。

死ぬなら、ほかのところで死んでほしいですよね。
その言葉を聞きながら、気を付けよう、と思った。
ここは、わたしだけの世界ではないんだった、と思い、夜になっても、何度も、注意深くいよう、と、言い聞かせながらカーペットを撫でている。


散文(批評随筆小説等) カーペットのこと Copyright はるな 2012-11-05 22:24:27
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