the small world
とりかご

兎はほっとしたが、問題は収束していなかった。



長湯のあとの、立ちくらみの、喪失感。
一瞬だけ、私は自分の名前よりも、単純な問いに頓着した。
概念を越え、超え、頭蓋を突き破り、およその感覚を、抜け出した。

私は、恐怖した。
恐怖した、を喪失し、恐怖した。
恐怖の恐怖であるところの、恐怖した、を喪失し、恐怖した。
恐怖の恐怖の恐怖であるところの、恐怖した、を喪失し、恐怖した。。。

私は、一瞬の空白ののちに、その恐怖たちについて、
それぞれに名前をつけて回った。
名前をつけたのちに、一瞬の空白について、しばし思案した。
思案したことを、思案した。
また一瞬ののち、思案したことを、思案したことを、思案するのだろう。
私は、過去のうえに、過去を重ねてゆく。



兎はほっとしたが、問題は収束していなかった。



つまるところの、コンソメ味である。
コンソメ味のポテトチップスを口に運びながら、私は、
うすしお味になれ、と、コンソメ味に命じる。
私自身は、それが、どこまでもコンソメ味なのだと、知っている。
うすしお味ではないと、知っている。
だが、家族は、私を指差しながら、あざ笑いながら、
それはのりしおであると、連呼するのだ。
(私自身が、のりしお味である可能性を除く、)
私は、私のコンソメ味が、コンソメ味だと、知っている、
私は、私でないコンソメ味が、コンソメ味であるのか、知らない。
知らない、
何も知らない、私は、
うすしお味のコンソメ味のポテトチップスを、
口に運ぶ。これがもし、
のりしお味であるのなら、私は、
のりしお味を、コンソメ味と呼ぶのか。
コンソメ味を、のりしお味と呼ぶのか。
また、実は、うすしお味であるのか。
私は、卑怯な問いかけであると、自身を笑った。



兎はほっとしたが、問題は収束していなかった。



ここは、天国ですか。
あ、ああ、天国。
では、天国は、どこなのですか。
え、天国? 天国は。
弟は、その疑問に捕らわれたまま、
ついに二度と家へ戻ってくることはなかった。
ねえ、天国は、どこなのですか。
ああ、そうね、天国。
姉は、逆さまにひっくり返って、
お尻の糸を伝い、
トイレの天井に張り付いたまま動かなくなった。



ぐる、ぐる、兎。



四次元を 点に変える
点に 点に 点に 点に
ラグランジュ点を図る
作図して 作図して
物量と 質量の違いを指摘しながら
生と 死を調和させながら
有と 無は接合した



氾濫する欠落が星空を覆い
掬うことを諦めた右腕は
左腕の肌の感触だけを確かめてばかり

刹那に 増殖する喪失が
立ちくらみのような鋭さで
普遍的で個人的な領域を侵してゆき
弔いの ことばは いつまでも追いつけないまま
私だけの救いは 泡のような緻密さで
私の視界のすべてを 包みこんでいる



瓶に閉じこめた 宇宙の 限界的つりあいの 関係を
ワープロに 打ちこみ続けた 老人は
ひとつだけ タイプミスをしていた
私は 誤字に気付き 嘲笑しながら 指摘もせずに
ホルマリンに やさしく 漬ける 私は 恐怖した
恐怖であるところの、恐怖をした。



周囲を見渡し 人気ひとけがないことを確認してから
私は 秘密のパスワードを 兎のお墓に埋める

(寂しくなるとね、死んじゃうからね、
ちゃんと、そばにいてあげるよってね、
伝えてあげてね。)

私は 墓に眠る 冷たい兎の耳に そう言付けてから
隣に穴を掘り そこに眠った
朝がくるまで 眠った
ぐっすりと 眠った

 


自由詩 the small world Copyright とりかご 2012-10-26 05:34:13
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