台風のせい
はるな
説明のつく気持ばかりをあつめて評価しようとしている。
きのうと今日はいろいろなことを台風のせいにした。
夕食の準備しなかったのも、本が読み進められなかったのも、洗濯も掃除もろくにしないで線ばかりひいていたことも。
夫がかえってきて、ぜんぶ台風のせいにしたら、夕食を食べにいこうと車にのせてくれた。それで、寿司にするか?それとも、あたらしくできたカフェに行くか?とか、聞いてくれる。なんでもいいというと、すこし考えて、それからにやにや笑って、じゃあ、とアクセルをふむ。どこに行くの?と聞くと、どこでもいいんだろ。と言うので、黙った。そして、スーパーマーケットのなかにあるフードコートへ行って、今日はニキビができるくらいジャンクな食事にしよう、と言う。ケバブーを食べた。
夫が、いまでもあんまりにもやさしいので、わたしは自分の欲しいものがわからなくなってしまう。
もっといろいろ感じるふうにやっちゃだめなんだろうか、と考えて、だめなんだろうなあ、と思う。説明が必要なひともいるし、説明しながらのほうが進みやすいひともいるのだもの。感じることも、感じないことも、ぜんぶ、いちように無価値だ。
わたしたちの命は、つねにひとしく無価値だ。
だからこそ、わたしは、安心して感じることができるし、息をしたり、怒ったり、書いたり、嫌ったり、好いたりできる。
ということを、夫にいっしょうけんめい説明していたら、よくわからないな。と言ってから、コーラ飲みたくなっちゃったよ、と言っていました。ケバブーを食べたので。
それから、ぽんぽんと肩をたたいて、「台風だもんな。」と言う。そのとおりです、と思って、でも、口には出さなかった。