聖霊を受けるために何をしなければならないか
生田 稔
聖霊を受けるためには何をしなければならないか
何か神権的な割り当てを受けた時、自分は資格がないと感じるべきでしょうか。そう言った時こそエホバ神に聖霊を求めるべきです。1927年にR.J.マーチンという兄弟は次のように過去を振り返って言いました。兄弟は組織の必要から印刷工場の監督となり、それを果たせたことを語って、兄弟はこう述べます、「主は適切な時に戸を開かれました。大きな輪転機が手に入りました。私達はその組み立てや操作について何も知りませんでした。」それでは兄弟たちはどうしたでしょうか、こう語ります、「数週間後には、その輪転機を動かすことができました。それは今も動いており、想像できなかったほどの仕事を行っています」。
でも兄弟たちは、何の努力もしないでいた訳ではなかったでしょう。神の助けを熱心に祈り求めたことでしょう、そして会衆の集会に定期的にに出席したことでしょう。また相応しい知恵を神が与えて下さることを望んでいたでしょう。そして神の力強い活動力は成功の最も大きい理由であったに違いありません。
また、これとは違っている場合、つまり病気で悩む或いは命も危ない時、私たちはどうすべきでしょうか、祈ることも必要です。祈るだけでなく治療の手段や方法も探すべきです。現代では祈るとすぐ直ったという奇跡は起こらないかもしれません、ですから治るための療法と節制に励むべきです。でも神の祝福は私達の努力だけでは説明できません、それは私達がとる食物とそれがどのように体全体にいきわたるかを正確にたどることが難しいように、エホバ神の活動力の働きは、私達が神に協力し、神のご意思に沿って行動するときに与えられる不思議なものです。エホバ神は必ず聖霊による援助を各々に与えて下さるのです。
またもう一つの場合があります、自分には抵抗できない誘惑に遭う場合どうすればいいのでしょうか。その時こそ神に頼り神の証しをする者として行動する良い機会です。人にできないことを可能にするのが神の力ではないでしょうか。使徒パウロは次のようにクリスチャン達に助言しています。 (コリント?12の10を読む、「10 したがって,わたしは弱いところを,侮辱,窮乏,迫害や困難を,キリストのゆえに喜びとするのです。わたしが弱いとき,その時わたしには力があるからです」 ) 此処にはキリストのゆえに喜びとする、あるいは弱い時に力があるとあります。自分の今までを振り返るとき、自分は誘惑に完全に抵抗できたと言う人がいるでしょうか。どうかどんな場合にも神エホバに頼りましょう。大切な点ですので再び同じことを、聖書から見ましょう、パウロは同じ点を繰り返しこう言います(フィリピ4の13を見る、「13 自分に力を与えてくださる方のおかげで,わたしは一切の事に対して強くなっているのです。」 )ここには、力を与えて下さる方のおかげで、一切のことに強くなっているのですとはっきり述べています。なんというサタンに対する勝利の宣言でしょうか。
ですから、パウロのごとく、神の霊感による言葉で自分を養い、学んだことがらに謙遜に忠実に従うとき、エホバ神は豊かにご自身の聖霊によってわたしたちを守ってくださいます。