なぜ、ミスチルはフジロックに出られないのか
番田 


明日からフジロックが始まるわけだが、なかなか高い値段のチケットに、僕は行くことが出来なかった。それに、場所的にも東京からはとても遠いのである。

フジロックに限らず、音楽フェスというと、洋楽が主体になっているイベントである。プラス邦楽のバンドなどが付随して、彼らは午前中や昼間の時間帯に演奏するといった具合だ。それにしても明日からフジロックが始まるのである。ストーンローゼスやノエルギャラガーも、すでに来日しているのかもしれない。今年は3日にわたってUKロックのバンドが名を連ねているようにも感じられる。日本の歌手は井上陽水や加藤登紀子さんなどが出演する予定である。しかし、こういったフェスにおいて、日本を代表するあのミスチルや桑田といった人が全く顔を出さないのは何故なのだろうか。これは全く不思議な現象だと思い、ペンを取り、この文章を書くことにした。

これは、桑田やミスチルが海外で全く認知されていないという現象と同じ問題である気がする。宇多田ヒカルもそうなのかもしれない。日本で絶大な支持を得ている楽曲が、なぜ海外では共感を得られないのか?これは、日本語が海外においてはどこの国でも全く話されていないという事実となんとなく似ている気がする。

仮に、今回のフジロックの中でミスチルが出演すると仮定しよう。時間的に、ストーンローゼスの前に演奏するとなると、なかなか難しいことになってくるのがすぐにわかる。観客は待ちかねていたミスチルの登場を喜ぶだろうが、ストーンローゼスの時には頭を切り換える必要性が出てくるのである。しかし、ここでミスチルの代わりにリアムギャラガーを入れておけば、すんなりとストーンローゼスに感覚を移行することができるようにも思われる。そういったことはチャットモンチーや少年ナイフであっても、多分可能なように感じられる。しかし、なぜそこに入るのがミスチルでは駄目なのだろう。仮にストーンローゼスがマイケルジャクソンであっても、ジミヘンドリックスであったとしても、そこにミスチルが来るのはあまりにもマッチしないのだと確信できるわけである。

つまり、日本的であると言うことは、世界から断ち切られているということを意味しているのだ。しかし、皮肉なことに、彼らは海外のアーティストなどの影響を曲の中で多大に受けているというのはとても不思議な関係である。桑田に関してはメロディーがイギリスのバンドとほぼ同じという作品もある。逆に影響を与える側が日本人であったほうが、商業的には爆発的な成功を収められるのだが。恐らく、こういったことは日本ならではの現象なのだと言えるだろう。イギリスやアメリカのバンドであったなら、自国で人気が出れば海外でもほとんど同じような理解のされ方をする。しかし、日本では国内においてあまり人気の無いバンドの方が、海外では意外な評価のされ方をするわけである。


そのような傾向が内在されているがゆえに、ーースポーツにおいてはそんなことは全くなんの関係ないのかもしれないがーー、世界的なバンドが日本から生み出されるというのは、本当に難しいことなのである。そういった意味で、外人から見れば、フジロックフェスティバルというのは、日本人によるある種滑稽なイベントだといえるのかも知れない。


自由詩 なぜ、ミスチルはフジロックに出られないのか Copyright 番田  2012-07-27 02:16:56
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